フィールドプラス no.27
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命と向き合うジャワ社会 スラパナン儀礼は、赤ちゃんを村の一員として受け入れ、村全体であるいはジャワ社会全体で超自然的な存在から守るための儀礼であった。現在でもジャワ人には大切に守られている伝統的な文化である。私は、スラパナン儀礼から、命の尊さや人びとが命と向き合う姿勢を教えられた。 これまで私はジャワにおいて、病気や死に関する調査を行ってきた。村の誰かが病気であるということは全ての人の関心事となる。病人のいる家は見舞客でいっぱいになった。また、見取りの場面では、一人で旅立つのは寂しかろうと多くの住民がそばで祈りを捧げていた。病気や死に際しても、ここで見てきた子供の誕生と同じように、村の全ての人びとが命と向き合う姿がみられたのである。一緒に喜ぶ、一緒に心配する、一緒に励ますということは、なんて素晴らしいことか。 しかし、コロナ禍において、多くの人が集まる儀礼の開催は制限されているのではないか。そこで、2021年9月に出産した私の友人に電話で尋ねてみた。彼女によれば、地域によって異なるとした上で、「村外から多くの招待客を迎える結婚式は、現在、村長および地域の警察署から許可を得る必要がある。また、招待客は結婚式に参列する前にPCR検査を受けなければならない。聞くところによれば、許可がない場合は逮捕もしくは罰金を科せられるなどのペナルティがあるらしい。それに対して、スラパナン儀礼は、村内の顔見知りだけが招待客となるため、誰の許可も必要ない。スラパナン儀礼の時は、招待客全てがマスクを付けてきた。コロナ禍で招待客の人数が減ったということはなく、通常のように赤ちゃんを抱っこし、祝いの食事も一緒に食べた。スラパナンに限らず、儀礼の日に体調が悪いと思う人は行かないという暗黙の了解がある。自分の体を守り、他の人に病気をうつしてはいけないという考え方は、都会に暮らす人より村で暮らす人の方が強い」。すなわち、地域の感染状況によるところは大きいが、村内を中心とした儀礼は、これまでと変わらず執り行われているということだ。そこには、顔見知り同士であるからこその互いの配慮があるようだ。 インターネットやSNSを通して遠く離れた世界中の人びととつながることが出来るようになった現代において、そして、世界的なパンデミックを経験した私たちにとって、直接向き合うことを大切にする儀礼の重要性は考えずにはいられないテーマだろう。 赤ちゃんの髪を剃る伝統的な産婆(2015年)。り、お祝いの印として村の人びとへ配られる。 スラパナン儀礼には村の多くの住民が招待される。赤ちゃんの両親と私は、1週間ほど前から招待客の家を訪問してスラパナン儀礼の日程を知らせた。儀礼の当日、多くの村の住民がやってきて、赤ちゃんはまずお年寄りたちに順番に抱き抱えられる。この行為には、両親が自分の赤ちゃんを村の人びとへ紹介し、村の人びとが赤ちゃんを村の住民の一員として受け入れる意味がある。続いて、スラパナンの最大の目的である赤ちゃんを悪霊から守るための散髪が行われる。赤ちゃんの髪に最初にハサミを入れるのは両親とされ、次に村のお年寄りたちや親戚、近所の人たちが順番にハサミで髪を切る。赤ちゃんの髪を切る目的は、あらゆる種類の汚れを浄化するためである。赤ちゃんは自分で身を守ることが出来ない。ジャワ人は、赤ちゃんを目に見える存在のみならず、超自然的な存在からも守らなければならないと信じている。 この浄化には髪を剃るという方法もある。私がお世話になっていた家で体験したスラパナン儀礼では、伝統的な産婆がまだ首の座っていない赤ちゃんの頭を抱えてゆっくりと丁寧にうぶ毛を剃り、とても柔らかい赤ちゃんの爪を切った。その髪と爪は胎盤と臍の緒と同じ場所に埋められた。髪や爪は大切な赤ちゃんの分身ということになる。さらに、赤ちゃんを悪霊から守るための一連の行事として、伝統的な産婆は用意された神聖な水とされる特別なぬるま湯で赤ちゃんの全身を洗い流した。そして、彼女は赤ちゃんを連れて個室に入ると、誰も中には入らないように告げた。数分後、赤ちゃんの「オギャーオギャー」と泣き叫ぶ大きな声が聞こえた。驚いた私に、赤ちゃんの両親は「女子割礼の儀式だ」と笑いながら言った。後日、私が部屋の中で何が行われたかを尋ねても、その産婆は何も教えてくれなかった。 このような一連の過程を経て、赤ちゃんは村の新しいメンバーとして迎え入れられる。神聖な水で赤ちゃんを沐浴させる(2015年)。フィールド ノート22

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