琉■■■■■■■璃廠の中国書店が定番だったが、目利きの多い北京のこと、貧乏学生に手の出せる掘り出し物などあろうはずもない。乏しい予算と相談しながら、清末から民国初期にかけての石■■印■■本■■(石版印刷という手法で作られた本)などを細々と集めていた。その後、北京を訪れるのは学会やシンポジウムなどの機会に限られるが、その合間には郊外の潘■■■■■■■家園旧貨市場に行くのが通例である。ここには古本のスペースもあって、いつもあっという間に時間が経ってしまう。ただもちろん、空いた時間に訪れた程度の外国人に幸運が訪れるはずもなく、大物を釣り上げたためしはない。 中国語学の朝鮮資料、つまり朝鮮王朝時代に刊行された中国語関係の資料に関心を持つようになってからは、学会や文献調査でソウルに行くたびに、骨董街として有名な仁■■■■■寺洞の古本屋に立ち寄る。その一軒である「承■■■■■■文閣」に初めて入った時、老齢の店主から、君はカンノ先生の学生かと聞かれ、東京外国語大学におられた菅■■野■裕■■臣■■氏の弟子筋にあたる方々がいかに足繁く通っているかを思い知らされた。なお、専門家に聞いたところでは、朝鮮本の本場は何といっても大■邱■だという。伝統的にソウルは胥■■■吏が住む街であり、本物の知識人は田舎に住むのだそうだ。1998年に代表的な朝鮮資料『老■■■■■■乞大』の最古のテキストが大邱で発見されたのも、決して偶然ではないとのことである。中国韓国琉璃廠*写真はすべて筆者撮影。14北京北京駅故宮ソウル大学校潘家園ソウル大邱高麗大学校仁寺洞北京よりは、むしろ安値で買ったものが大変な価値を持っていた、という話の方に断然憧れる。例えば、元・至大元年(1308)の序を持つ貫■■雲■■石■■の『孝■■経■■■直■■■■■解』は、儒教経典の『孝経』を当時の口語で訳したもので、アルタイ諸語の影響を強く受けた「漢■■児■言■■語■」と呼ばれる文体で記されている。その言葉の特質から、中国語の歴史を書き換えるぐらいのインパクトを与えた文献なのだが、この天下の孤本は、故 林■■■秀■■一■■氏(元岡山大学教授)が戦前名古屋の古本屋で偶然見つけ、二束三文の値で買ったものだという。自分にもいつかこんな瞬間が訪れないものかと思いつつ、日本でも海外でも、古本屋巡りに精を出すことになる。北京市郊外にある潘家園旧貨市場の様子。いつも人でにぎわっている。古本と文献学 文献学をやる人間にとっては、図書館や博物館に行くのが一種のフィールドワークみたいなものだが、それは古本屋についても言えることで、膨大な本の山の中から貴重な文献を自ら探し出したいという思いは共通している。違うのは、古本の場合、いつどこで出■えるかわからないという高揚感と、その裏返しの徒労感があること、そして運よく手に入れた場合に、自分がその所有者になれることである。もちろん、私蔵は「死蔵」につながるものだし、貴重な文献であればこそ、公的な所蔵機関できちんと管理され、万人に開かれているという状況が望ましいのは言うまでもない。ただ、貴重な本を自分の手元に置くことには抗いがたい魅力がある。 古本をめぐっては、眼の飛び出そうな値段のものを有り金はたいて買ったとか、店主との息詰まる交渉を経て手に入れたというようなエピソード竹越 孝 たけこし たかし / 神戸市外国語大学北京とソウルの古本屋 本格的に古本探しに目覚めたのは北京に留学していた1990年頃で、主なターゲットは前近代の線■■装■■本■■(糸綴じの本)である。当時古本といえば図書館での出■い これまで一度だけ、世に知られていない古本を手に入れるチャンスを掴みかけたことがある。17世紀後半の成立と思われる『象■■■■■■■■院題語』は、朝鮮王朝の通訳養成機関だった司■■■■■訳院で使われた中国事情解説書で、明代末期の中国の様子が40節ほどの短文で綴られている。この書を手に取ったのは2005年のことで、駒込の東洋文庫(東洋学専門の本屋図書館と古本屋と博物館『象院題語』のはなし文献学者にとっては古本漁りもフィールドワークの一つ。自らが価値を見出した文献をめぐる、図書館での出逢い、古書目録に起因する悲喜劇、そして博物館での再会について語る。
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