フィールドプラス no.27
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する。そこで重要なのは、あからさまな働きかけをとおして相手から何かを引き出そうとする交渉術ではなく、さりげない振る舞いを通じて相手の自発的行為を引き出すことである。結果として分配されることもあれば、分配されないこともある。しかし、まるでその結果に影響されていないかのように振る舞う。このような分配をとりまく場は、与える者と受け取る者の二者関係だけで成り立っているのではなく、分けられなかった者も含む、人々の相互行為から成り立っているのである。 こうして分配がなされると、その時点で与え手の感じている負目は解消されてしまう。つまり、分配を駆動する負目は、今、ここにおける非対称な関係においてのみあるのであり、分配が終われば風のように去っていくのである。食物をもらった者に負目が残ることはなく、したがって後々の人間関係に影響することもない。 ここまでバカの分配における負目について考えてきたが、では負目がバカの分配における最大の駆動力なのだろうか。もしそうだとすると、食物の非対称性に起因する負目と前述のような一見すると分けなくてよいものを分けるということは、いささか矛盾してしまうように感じる。むしろ、バカたちにとっては負目よりも、料理の分配をめぐる相互行為そのものが分配のモチベーションになっているのではないだろうか。 人々は狩猟や採集、農作業など何かをするときには、きまって誰かと行動を共にする。分配はこのような日常生活の一連の流れの一部としてある。さらに分配に至るまでに、その日にあったことなどについて取り留めのないおしゃべりをし、大人が直接料理を持っていくときには相手の様子を確かめることもある。バカたちは負目を蓄積することなく、常に分配をすることで、互いの状況を確認しあい、相互の関係を維持、構築しているのである。 11カメルーン共和国ヤウンデ東部州ロミエメソック調査地こ安定的に供給される農作物や森の植物性食物がなぜ頻繁に分配されるのかは、上記の理由から説明することは難しい。しかも、同じ種類の主食や似たようなおかずを分配し合ったりすることも珍しくない。もちろん、高齢者など生業活動をあまりしない人は、料理をもらうことの方が多い。しかし、多くの場合、一見すると分けなくてもよいのではと思えるような間柄で頻繁に分配されているのである。このような状況の背景には、調理前後における人々の行為が存在している。物分配は、言葉で要求したり、あからさまな態度をとったりして相手から何かを引き出そうというものではない。ちょっとした行為の結果として、相手が自ら動くことを期待するといった微妙な空気のなかでおこなわれるやりとりなのである。料理を運ぶ子ども。男の子も女の子も物心がついた頃から料理を運ぶ。バンジョと呼ばれる屋根付きのたまり場に集まる女性と子どもたち。女性も男性も子どももこうして密着して集まる。調理場の微妙な空気感とさりげないやりとり バカの女性たちは、家の中か外で焚き火をして料理をする。料理中には、他の家の女性が、臼や杵を借りに来たり、ただ雑談しに来たりと人の出入りが多い。しかし、それは料理中だけである。料理が終わる頃になると、近くにいた人はどこかへ去ってしまう。できあがりの頃にその場にいたとしても、無言で外をぼーっと眺めているというように、料理した食物に興味を示していない態度をとる。料理ができあがると調理者の女性は、その時の料理の量、上述のような周囲の人の様子や態度、その日行動を共にした人などを勘案しながら、誰に分配するかを決める。料理を盛り付けると、子どもに指示して特定の人のところに運ばせる。料理中に調理場の近くや家の軒先などに座り続けていた人は、高い確率で分配にあずかることになる。 このように調理場をとりまく分配の場では、人々のさりげないやりとり、相互行為がなされている。それは、単に言葉によるコミュニケーションだけではなく、目線や身体の向きといった身体動作をとおしたコミュニケーションも含む。ただ黙って座っているだけだとしても、何らかのメッセージが伝わっているのである。バカたちの食分配における負目 さいごに食物分配における負目について考えてみよう。食物分配のときに、バカが負目を感じているようなあからさまな態度をとることはないし、そもそも通常の分配の様子から負目を読み取ることは難しい。料理の分配はごく日常的で、特別な贈り物ではないからだ。料理をあげる時、もらう時、人々は素っ気ない態度を保ちつづける。仰々しくお礼を言ったり、これみよがしに料理をあげたりすることもなければ、受けたことに対するお返しをすることもない。 だからといってバカの人々に負目の感情がないわけではない。たとえば、獣肉など価値の高いものを持つ者は、人目に付かないようにそれを隠す。ふつう負目とは、ものをもらった者が与えた者にたいして抱く感情だと想定されているが、バカが負目を感じるのは、むしろ、ものを持っているときであるように思われる。食物を持たない者が抱く欲求を、食物を持つ者が感じとり、相手に欲せられているという心の負担として負目があらわれるように思えるのである。食物を持たない者を前にして、食物を持つ者は「あなたが欲しいと思っていることを私は知っていて、あなたも私がそれを知っていることを知っている」と考える。このように周囲の人々の状況を把握し、感情の動きを推測することで、食物を持つ者は「持っていること」にたいして負目を感じるのではないだろうか。 そのような負目を持ちながら料理をしている人の周囲にいる人々は、あくまで調理者の自発性に分配の成り行きを任せようと

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