フィールドプラス no.26
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図1 チベット・ビルマ諸語における英語riceの表す意味に対応する語の数。1234筆者撮影。あまりバリエーションが見られないことが分かる。 プロジェクトで用いる資料は、担当者がフィールドワークを通して収集した一次資料と、これまでに発表された調査データという二次資料に大きく分かれる。後者については、利用するにあたって時に困難に直面する。たとえば、英語で発表された語彙資料の中には、riceという見出し語に与えられた語形が具体的に何を指すのか分からない、といったことがある。このような問題を通して、フィールドワーカーが語彙集を編纂するときの注意点も考えさせられた。 筆者の担当するチベット・ビルマ諸語(主に中国西部〜東南アジアに分布)では、同じ語群でありながら、riceをめぐる語彙写真1 攀天閣郷の水田と棚田。写真2 塔城鎮の農閑期の水田。秋でも木々が青々としている。数に違いが見られる。このため、プロジェクトから派生したテーマとして、「稲」「もみ殻つきの米」「白米」「米飯」という4つの意味区分を設けて、語形式と意味区分を対照しつつ整理し、現れる語形式の数を地図化してみた(図1)。すると、意味区分が細かい言語ほど稲作と生活が密接に結びついているのが見えてきた。チベット文化圏の稲作地域と「稲」と「米」 筆者のフィールドワークは、チベット文化圏の東部、最近では特に中国雲南省北西部の維西県などにおいて、チベット系諸言語を中心に行っている。チベット文化圏のほとんどは自然環境が稲作に適していないが、雲南のチベット文化圏やブータンでは稲作が行われている。地図(図1)が示すように、そのあたりで話される言語では、「稲」や「米」にはそれぞれ別の語が用いられる。これらの地域以外では、英語のriceと同様に、1つの語で「稲」も「米」もカバーする。 実際のところ、チベット文化圏で田に水を引き稲作をしている現場には出会ったことがない。稲作用の農機具を見たり、刈り終えたあとの田を歩いたりしただけである。稲が育つ農繁期に農村を訪ね歩いても、調査協力を得られにくいと踏んで、そんな時期に調査に行かなかったからである。稲作には気候の条件があり、水が豊富にあって日照時間が十分に取れる地域で行われて2021/5/11rice-TB-stem* 写真はすべて (Esri, HERE, Garmin, FAO, NOAA, USGS)6鈴木博之 すずき ひろゆき / 復旦大学(中国)、AA研共同研究員英語riceは「稲」も「米」も指す。異なる言語の間では語の表す意味分野が一致しない典型例である。言語地図によって語彙の意味区分の複雑さも分かる。チベット文化圏の南東部をフィールドワークしながら考えてみた。アジアの諸言語と稲作文化圏 「アジア地理言語学研究」プロジェクトでは、当初から成果を英語で準備してきた。「稲」は英語でriceであるが、riceは同時に「米」や「米飯」も表す。このため、最終的にプロジェクトで扱う「稲」はrice plantに統一して、指示対象を特定することになった。 稲作文化圏で話される言語には、riceに相当する語彙が豊富にある。プロジェクトでは、アジアの諸言語における「稲」の語形式を地図に描いた。その言語地図を見ると、南アジアから東アジアにかけての稲作地帯に分布する言語群では語源的に独立した語形式が認められる。一方、稲作を行わない地域に分布する言語群では借用語を用いるか、本来語であったとしても語形式に稲・稲作とチベット文化圏

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