フィールドプラス no.26
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イバダンのナイジェリア音楽専門店。新録音はもちろん、古い作品のリイシュー盤も■えている(2017年撮影)。教会のドラマー。ドゥンドゥンはキリスト教にも浸透している。教会のバンド。このギタリストは出番待ちのときずっとジャズの名曲Take Fiveを爪弾いていた。ゴスペルはバイトなのだろうか。紐部分を脇の下にはさみ、革面をバチで叩く際に脇を締めたり緩めたりすることで、音の高さを自由に変えることができる。ドゥンドゥンはトーキングドラムとも呼ばれるが、これはヨルバ語の特徴と大きく関係している。ヨルバ語は声の高さを変えることで意味を変えることのできる言語である。例えば「タ」を低い声で発音すれば「売る」、中間の声で発音すれば「撃つ」、高い声で発音すれば「さぐる」という意味になる。ナイジェリアの学校ではこの低中高の音程がそれぞれドレミに相当すると教えられており、それらを太鼓の音でなぞれば、ことばの意味をかなり伝えることができるのである。 今やヨルバを象徴する楽器ともいえるドゥンドゥンだが、実は外来の文化であることがわかっている。ナイジェリア北部にはアラブ圏との交易で栄えたハウサ民族がおり、彼らはドゥンドゥンの原形となる楽器で王や有力者を称賛する「誉め歌」を演奏する文化を持っている。ドゥンドゥンはハウサの宮廷文化とともにヨルバにもたらされ、ヨルバ音楽の形式に合うよう改良されて現在の形になった。ドゥンドゥンはヨルバの音楽に受容される過程で、音楽そのものも変えていった。従来の太鼓は音程を変えるのが難しく、演奏には熟練を要したと言われる。ドゥンドゥンは演奏のしやすさと幅広い表現力で音楽の間口を広げ、さまざまなタイプの音楽に調和しながら、それらをすべてヨルバ風味に変えてしまう万能スパイスのような楽器になっていったのである。歌詞に映し出される社会 ヨルバ語の音楽が最初に録音されたのは1922年で、それ以降さまざまなポピュラー音楽が録音されるようになるが、それらは西洋文化の影響を受けたアシコ、ハイライフ、パームワイン、ジュジュなどと呼ばれるジャンルと、イスラム文化に影響を受けたサカラ、アジサーリ、ワカ、アパラなどと呼ばれるジャンルに大別することができる。 前者は、西洋の楽器とハーモニーにヨルバのリズムを組み合わせた音楽で、賛美歌や軍楽、帰還1950年代のレコード。古い音楽の人気は根強い。このレコードのA面1曲目に収録されたボビー・ベンソンのTaxi Driverはナイジェリアのスタンダードである。イスラム系音楽の主要なジャンル「アパラ」のレコード。ハルナ・イショラ(右)とアインラ・オモウラ。西洋系の主要なジャンル「ジュジュ」のレコード。I.K.ダイロ(右)とサニー・アデ。奴隷がもたらしたラテンアメリカの音楽などに影響を受けた。また西洋文化の取り込みが早かったガーナの音楽を模倣したものもあった。 一方後者は、アラブ音楽の音階やコーランの朗詠などに影響を受けたスタイルである。ヨルバに入ってきたイスラム文化はハウサを介して伝えられたため、実際はドゥンドゥンなどのドラムや弦楽器、声を張ったリードとコールアンドレスポンススタイルのボーカルなど、ハウサ音楽の影響も強く受けている。 このようなポピュラー音楽は20世紀前半に形を整えていったが、面白いことにヨルバの間ではイスラム教が比較的新しく普及したにも関わらず、イスラム風の音楽の方がヨルバの伝統に沿っていると受け取られていた。当時はイスラム教徒の方が伝統的な習慣や衣装を好み、昔ながらの職業に従事する者も多かったのに対し、キリスト教徒は西洋の習慣や洋装を好み、ホワイトカラーの仕事に就く者が多かったからと言われる。 当時の音楽の歌詞を聞いてみると、イスラム風の音楽は誉め歌、ことわざで戒める歌などが多いのに対し、西洋風の音楽は自らの貧しさを哀れんだり、虚勢を張ったりなど個人の哀感を歌ったものが目立っている。束縛はあるが社会的な仕組みに守られた伝統派と、個人主義を謳歌する反面、孤独に耐えねばならない先進派の相違が歌に表れているようでもある。 このように外来の要素を再解釈して従来の文脈につなげ、新たな伝統を生み出していくところに、ヨルバ文化の生命力の強さがあると言えるのではないだろうか。 27

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