フィールドプラス no.26
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ナイジェリアには三大民族と呼ばれる大グループがあり、そのひとつがヨルバで、主に南西部に居住している。文学や芸術を愛好する彼らは、外来文化を取り込んで、独自の音楽を創り出していた。さまざまな文化が交錯する西アフリカで、ヨルバが生み出した音楽に見られる、新たな伝統とは何だろうか。イバダンラゴス*写真はすべて筆者撮影。26ナイジェリアイバダン大学のセレモニーに出演したダンサーとドラマー達。ドラムアンサンブルはヨルバの伝統的な演奏形態である。世界遺産「オショボの聖なる森」のゲートにあるドラマーのレリーフ。ドゥンドゥンは伝統宗教でも演奏される。遠かったナイジェリア、ヨルバ音楽との出会い 私が初めてヨルバ語に接した80年代、日本で手に入れられるアフリカの情報はかなり限られていた。ヨルバ語には立派な辞書があるのだが、ヨルバの言語や文化に関する情報源は、ほとんどその一冊しかなかったのである。その巻末にはナイジェリアの動植物、ヨルバの神像や民芸品などの図録が収められていた。情報に餓えていた私は、暇があるとその図録を眺めて、想像をふくらませていた。 一方、80年代は日本でもアフリカに対する関心が高まり始めた時代でもあった。特に文学・芸術の分野でヨルバ人の活躍が目立った。83年にはエイモス・ツツオラの小説『薬草まじない』が邦訳され話題となった。86年にはウォレ・ショインカがアフリカ人として初めてノーベル文学賞を受賞した。 そのような動きの中で特に刺激的だったのがアフリカ音楽の数々であった。ワールドミュージックが脚光を浴び始め、その口火を切ったのが、忘れもしない、1984年10月26日、代々木体育館で開かれた、ヨルバ人アーティスト、キング・サニー・アデのコンサートだった。 彼のサウンドはレコードで聞いてはいたのだが、ライブは桁違いだった。伝統的なパーカッションや衣装と現代的なエレキギターが融合したステージは熱狂的でありながらクールさを忘れず、ナイジェリアのことなどほとんど知らない日本人の聴衆たちを圧倒した。このときの衝撃が、その後の私の人生に大きな影響を与えたと言っていいだろヨルバの主要都市イバダンで作られたドゥンドゥン。音の伸びが素晴らしい。レコードジャケットに描かれたドゥンドゥンのイラスト。う。私はヨルバ語の研究を続けながら、ヨルバ音楽にもずぶずぶとはまっていくことになった。 「もの言う太鼓」と、その歴史 ヨルバ音楽の特徴はさまざまあるが、とりわけ目立つのはドゥンドゥンというドラムであろう。ドゥンドゥンは砂時計のような形をしており、両端に張った革が革紐でつながっている。奏者は革塩田勝彦 しおた かつひこ / 大阪大学、AA研共同研究員Field+MUSICヨルバの音楽に見る異文化の受容と新たな伝統

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