フィールドプラス no.26
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レユニオンでよく食べた中国風チキン。赤いのは激辛の漬物。ココナツのラム・アランジェ。語り手養成セミナーの修了式。Crédits photo: Udir.(レユニオン・アイデンティティ擁護協会より転載許可)。がインド移民、父方祖母がアフロ・マダガスカル系クレオル、父方祖父が中国移民という男性、さらには母方祖父がアフロ・マダガスカル系クレオル、母方祖母がフランス人、父方祖母がアフロ・マダガスカル系クレオル、父方祖父がブラジル人という女性がいた。このような場合に彼/彼女をどのように呼ぶかというと、結局は表現型において顕性を示す肌の色や顔つき、つまり「見た目」で呼ぶしかなく、その際に用いられる呼称が上で述べた「出自」の分類である。しかもそこには、特殊なコンテキストを除いては出自や肌の色についての禁忌はまったく存在していない。それはレユニオンのように混血化が進んだ究極の多民族社会では人の範疇化が最も識別容易な外見に基づくという逆説的な理由によるものであろう。の文化』の中で指摘しているように、口承性が反権威、反体制に向かう傾向を持つことを実感させられる情景だった。 語り手はプロのこともあるし、アマチュアのこともあるがプロとアマチュアとの境は曖昧で、ごく少数の例外を除いて民話の語り手は何かしらの本業を持っている。それは学校の先生だったり、自然が豊かなレユニオンのツアーガイドだったり、家禽や非合法植物を扱う農業従事者などである。さらにレユニオンでは語り手養成のセミナーがよく開催され、セミナーの修了証をもらったお墨付きの語り手たちが大量生産されている。セミナーの卒業口演を聴いたことがあるが、その中に往時の中国系移民の悪辣な商売を嘲笑するような話から始めた受講生がいたので、これはまずいのではないかと周りを見渡したがシノワ(中国系)の受講生がいなかったのでほっとしたことがある。 22民話とその語り手 民話を採話する際、語りの形態はさまざまである。語り手の自宅を訪問して幾つかの物語を語ってもらうこともあれば、そこに他の語り手が集まってちょっとした民話の会になることもある。そして、語り手と聴き手の数がどれほど少なかろうと大抵の場合は饗宴を伴う。それは語りの前であったり、後であったり、時にはその双方だったりする。とりわけ語り手の数が多い時には深夜まで順番に持ちネタを披露し続け、アルコールが入った大勢の民話の会ではしばしば歌を伴う政治的メッセージが声高に交わされる。それはまさしく、イエズス会司祭にして文化史家のオングが『声の文化と文字語り手の諸事情 何人かの語り手と知り合うと、語り手の世界の色々な事情がわかってくる。現在、語り手の団体は幾つかあるが、最も大きな協会の現会長は本土出身の白人男性で、彼のパートナーは現地の語り手の女性(インド・アフリカ系クレオル)である。驚いたのは、前会長も本土からやって来た白人女性で、現地の語り手の男性(こちらもインド・アフリカ系クレオル)が彼女のパートナーである。この対称パターンに何か理由があるのかどうかはわからない。語り手の中には、本土から来た会長が自分たちから登録料を徴収して団体を運営し、教育機関やメディアに売り込んだり、出版事業に進出するような活動を快く思わない人々もいる。民話が島の文化遺産であり、また観光資源であることに目をつけた簒奪者が本土から乗り込んで来たという被害者意識なのであろうか。結局はラム酒 民話を採話している時によく「どういう理由で遠い日本からわざわざ地球の隅っこにある小さな島の物語なんかを集めに来るんだい?」と聞かれることがある。いつも用意している答えはこんな感じである:「うちの国は文化国家なので世界の果ての異文化を調査するのに国が金を出してくれるんだよ。隣の大きな国がコモロに病院や空港を造るほどの金はないけどね」。ただ、それぞれの語り手が自慢にしている自家製のラム・アランジェ(ラム酒に色々なものを漬け込んだ甘くて強い混成酒)を何杯も飲まされた時につい「お礼参り」の件を白状すると、台所から「シャレット」が出て来て一緒にレユニオン島に乾杯を重ねる羽目になるのである。

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