フィールドプラス no.26
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圏谷に点在する家。糖蜜を原料とするトラディショナルラムの「シャレット」。1905年にフランスで最初に建立されたモスクの内部。最初期の中国系移民宅にある道教の祭壇。サトウキビ畑に隣接するヒンドゥー教寺院。*写真はクレジットのあるもの以外はすべて筆者撮影。コンテキストでは「レユニオン人」、そしてその下位範疇としては「混血métis」あるいは「クレオル」という語が用いられる。人を指す際の「クレオル」という語は多義的であるが、レユニオン島では、島で生まれ、かつレユニオン・クレオル語を母語とする人々のことを指す。しかし混血の度合いが複雑なクレオルをどう呼ぶかとなると、レユニオンの特殊事情が絡んでくる。例えば調査時に家系のことを尋ねた際に、母方祖父21洋上の実験室 長らくレユニオン大学で教えていた社会学者のユ=シオン・リヴさんは、マダガスカル生まれであるが生粋の中国人で、ハビトゥス理論で有名なフランスの社会学者ブルデューの最後の弟子のひとりであり、2002年夏から1年間AA研に外国人研究員として滞在した。レユニオン大学で初めてお会いした時、彼は開口一番「レユニオン島は壮大な《実験室》なんだよ」と説明してくれた。つまり、約400年前に当時の首席国務卿であったリシュリュー枢機卿の思いつきから、インド洋の小さな無人島に周辺から様々な出自の人々が集められ、そのまま現在まで「混ぜこぜ」の実験が行われているという意味である。 レユニオンの住民たちの地域的な出自は一般に、カフル(東アフリカ系でマダガスカル系を含む場合がある)、マラバール(インド・タミル系)、ザラブ(インド・グジャラートのムスリム)、シノワ(主に客家・広東の中国系)、グロ・ブラン(沿岸部の白人富裕層)、ヤプ(高地の白人貧困層)に分類され、白人を除いてはいずれもフランス植民地時代の奴隷あるいは契約労働者の子孫である。聞き取り調査で高齢者を訪ね歩いた時に一族の集合写真をよく見せられたが、血族だけの写真でも人々の肌の色は白、黒、黄、褐色にそれらのグラデーションというような具合で、4世紀にわたる人種的混淆の過程を物語っている。そしてこの混淆状態は音楽や料理などの文化全体についても言えるのである。人の呼び方 ところで、日常生活の様々な場面で名前以外に個人を特定するには何らかの呼称が必要となる。対フランス本土という

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