フィールドプラス no.26
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ふつうなら見つけられるはずのない超自然現象。でも、ネットには心霊写真も動画も溢れている。「異世界から」と称するものもあったりする。こわさを楽しむ方法は、テクノロジーの変化とともに変わっていく。陸前高田市の「奇跡の一本松」。ここに近づくと霊を感じるという人がいた(2014年10月11日、筆者撮影)。京都市の深泥池。有名な心霊スポットだが意外と交通量が多い(2020年11月25日、筆者撮影)。どうしても間接的な情報しか集まらず、妖怪「そのもの」を見つけることなどできないと思っていた。せいぜいが「出る」ところに行ってみて、何も写っていない写真を撮って帰るか、雰囲気の異質さを感じて何となく納得してみる──といったところだった。 だが、それが勘違いであることに気づいたのは、遅ればせながら2019年の夏ごろガラケーからスマホに乗り換えてからである。名前だけはよく聞いていた動画アプリのTikTokを何の気なしに入れてみたところ、まったく霊感もなさそうな一般の人々により、心霊系の映像がたくさんアップロードされていることを知ったのである。昭和生まれの筆者にとって、心霊写真は霊能者が鑑定して本や雑誌に載るものだったし、心霊動画はオカルト系のテレビ番組で紹介されるうさんくさいものだった──つまり商業メディアの領分だった。しかし画像・動画SNS全盛期の現在、個人が「こわい」と思った映像はそのまま、霊能者やディレクターの選別なしに、じかに別のユーザーに届いてしまう。現代アメリカに伝わる有名妖怪に、異様に細長いスーツ姿でのっぺりとした顔の、子どもを襲う「スレンダーマン」というものがいるが、よく考えてみれば、この怪物もまた、ネット上に投稿された不気味な写真から広まったものだった。インターネットでは、商業メディアに染まっていない妖怪も幽霊そのものも、簡単に見つけることができるのだった。18なかなか見つからない 筆者は文化人類学・民俗学の立場から、日本の妖怪や怪談の研究をしている。だから「こわいもの」を探しまわって調べているのは確かなのだが、残念ながら「零感」体質(霊感がまったくない)なので、そう気軽に「見つけました!」と言えるようなものはない。もしそういうことがあれば喜んで自分を研究したいのだが、そうそう都合のいいことは起こってくれない。むしろ──よくあることだが──記録として残されたもの(怪談集や民俗誌など)を読んだり、地元の人々が見つけたものの話を聞いたり、時には描いてくれたりしたものを参考にして、妖怪や怪談のことをいろいろ考えている。写真や動画も、撮れたら撮れたで「心霊写真」や「心霊動画」になってしまうし、今のところ、それらしきものが写っている画像は見つかっていない。そのようなわけで、■田龍平 ひろた りゅうへい/東洋大学非常勤講師スクリーンのなかの恐怖 筆者がようやくスマホの操作に慣れてきた2020年初頭、コロナ禍が本格化し、対面調査がキモであるフィールドワーカーは困難な状況に陥ってしまった。そんななかでもインターネットを閲覧することは制限されなかったので、筆者は本腰をいれて、SNSのユーザーが何をこわがっているのか、あれこれながめてみることにした。意図的にそのようなことを続けていると、TikTokのタイムラインが怪奇動画や心霊スポットや事故物件の実況配信ばかりで埋まっていくようになった。 その多くは、言ってみれば、たわいのないものである。風が吹いていないのに風船が流されたり、お堂のケーブル錠がバタバタしていたり、人影がないのにコンビニの自動ドアが開閉したり、人形が動いたり、撮った覚えのない写真がカメラロールに見つかったり、何もないはずの空間で動作が検知されたり、やはり何もないはずなのに顔認識が作動したり、竜のような姿の雲が浮かんでいたり。どれもかつての心霊写真のようにダイレクトに顔が写っているようなものではなく(そういう古典的なものもないわけではないが)、むしろこの世界のどこかに不可思議なものがあるとか、「現実がバグる」──デジタルゲームのバグのように、不自然に動作が停止・加速したり、モノが消失・出現したりする現象に対するネットスラングの一つ(英語圏だとglitches in real lifeなどと言う)──ことがあるとか、そういった宗教的信仰とも言えない漠然とした曖昧な不安や期待が潜んでいるように思われた。ユーザーも素朴に「信じている」のではなく、何かよく分からないことがあったので、とりあえず「#心霊」とタグ付けして広めてみる……程度の動機で投稿しているようだった。こわいものスクリーンの向こうの「異世界」

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