フィールドプラス no.26
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ナ禍(2021年3月現在)にあってそれは叶わない。ということでリモート・フィールドワークを試みた。つまり、カンボジアに帰省したまま、日本に戻れなくなっている夫に調査の代行を頼んだのだ。 まず私が突然、腹痛と吐き気に襲われた場所は、ちょうど村の土地神コン様の宿る木の前だったらしい。内戦のあった1970年代初頭、カンボジア領内に潜んでいるとみられたベトコン掃討作戦が行われた。アメリカが支援する南ベトナム軍の戦車部隊がこの木のあたりに差し掛かると、すべての車両が突然エンストを起こした。村人が慌ててバナナなど供物を用意し祈りを捧げたところ、嘘のようにエンジンがかかったのだという。私の場合も、私が何かコン様の逆鱗に触れたと考えた村人もいたらしいが、私には何の悪意もなかったわけだから、コン様は単に自分の存在を思い出して欲しくて、ちょっかい出しただけ、と夫や家族は説明してくれた。それにしてもコン様も挨拶ひとつしてこなかった私の無礼を随分と辛抱強く大目に見ていてくれたものだ。 一方、プノンペン郊外の寺院は、私のおぼろげな記憶とピンボケ写真を頼りに、でこぼこ道を中古バイクに乗り、数ある寺院の中から特定するのは困難を極めたらしい。夫がようやく目指す寺院に到着したのはかつての私のように正午近く。境内を歩いていた小坊主さんに話を聞こうとすると、ご住職は午後2時までお出ましにならない、舟の由来は村に住む古老に尋ねなければならない、舟が保管されている建物の■は別の人が管理している、などなど、容易には真相に近づけない。もはやこれまで、と寺院を辞そうとしたところ、舟の格納庫近くに人影が見えた。最後のチャンスとばかり、その男性に舟のことを聞いてみると、なんと彼こそが■の管理者、なおかつ、伝統舟に彩色する職人だった。さらに彼はその村の土地神コムハエン様に対して深い信仰心を持っているという舟の格納庫横にあるコムハエン様の祠(筆者家族撮影、2021年)。妻壁には白猿のお姿が描かれている(左)。祠の中に設置されている2体の像はいずれもコムハエン様(下)。のだ。30歳を少し出たぐらいの彼が言うには、コムハエン様は猿の姿をしていて霊験あらたかである。なにしろポル・ポト時代には、革命組織が境内にあるコムハエン様の祠の石像や猿神が描かれている妻壁の部分を撤去しようとしたところ、異常な重さでびくともせず、祠はそのまま放置され破壊を免れた。彼自身、妻と幼い子どもを抱えて路頭に迷いそうになったとき、コムハエン様のご加護を願ったところ、寺院の管理や舟の絵師としての仕事を任されるようになったのだという。帰路につこうとしていた夫はコムハエン様に引き戻されたのに違いない。そういう私は当時、コムハエン様のことなど全く気が付かず、敷地に入ってしまっていた。あのただならぬ気配はコムハエン様からのご挨拶だったのかもしれない。 かつて東京に仕掛けられたブービートラップは、私がカンボジアに深く関わるようになるための土地神様の布石(石ではなく小枝だったが)だったのか。土地神様たちは時間も空間も越えて、私にメッ土地神が登場する人気女性作家によるホラー小説『森羅呪術』(マイ・ソンソティアリー、2018年)(左)と各地の土地神の由来とそれにまつわる儀式やご利益について解説した『カンボジア国内の土地神の歴史』(アマタ出版、1991年復刻版、初版はおそらく1960年代)(右)。コムハエン様の祠があるプノンペン郊外の寺院(筆者家族撮影、2021年)。コン様が宿る大樹(筆者家族撮影、2021年)。この木の前で筆者は車を降りた。祠は少し離れたところにあるという。セージを発信し続けてきたのかもしれない。次回カンボジアに行ったときには、土地神様たちの好物のバナナを買って、真っ先にご挨拶に伺わなければ。 17

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