メコン河小学生の頃、友達が呼ぶこっくりさんに付き合い、花子さんに怯えながらトイレに行き、口裂け女を撃退する粉を駄菓子屋に買いに走った。そういう類のことはノスタルジックな思い出に過ぎなかった……カンボジアと出会うまでは。カンボジアアンコール・ワットプノンペン妖気を感じた場所にあった舟(筆者撮影、1995年)。右端に写り込んでいるのがコムハエン様の祠。当時、筆者はこの祠の存在に全く気が付いていなかった。かつて筆者が見たコムハエン号は、鮮やかに化粧直しされているが、すでに現役引退し、保管されている(筆者家族撮影、2021年)。車かバイクが接近中、あるいは犬の落とし物でもあるのかと、思わず棒立ちになったが、彼女が私の腕を引っ張って避けさせたのは、道に落ちていた何の変哲もない短くて細い木の枝だった。彼女の説明によると、その枝は、呪術師が念じて私たちを窮地に陥れるための罠、あるいは魑魅魍魎が変現したものかもしれないので、とにかく触れてはならないのだという。日本という空間にありながら、カンボジアの摩訶不思議な世界が広がっていることを知った瞬間だった。16トンレサープ湖タケオ州まず、摩訶不思議なブービートラップを 仕掛けられ 初めてカンボジアの人たちと知り合ったのは、私が大学生だった1980年代半ばの東京。ポル・ポト時代を生き抜き、難民として来日し定住していた人たちだった。同年輩だったこともあって、すっかり意気投合し、週末ごとに徒党を組んであちこち遊び回っていた。そんなある日、青山一丁目あたりの歩道を歩いていると、リーダー格の彼女が突然、私に向かって叫んだのだ。「危ない!」岡田知子 おかだ ともこ / 東京外国語大学白昼ののどかな風景に漂う妖気に戦慄し 1990年代半ば、私が文学研究のためにカンボジアに長期滞在していたときのことである。休日にカンボジア人の友人とプノンペン郊外の川辺に食事に行った。せっかくなので観光がてら、近くの仏教寺院を訪れることに。正午近くだったこともあり、かなり広い境内に人影は全くなく、異様な静けさに包まれていた。本堂の裏に回ってみると、壁のない長い掘立小屋のようなところに競漕祭用の伝統舟が収納されていた。なんとなく近づいて見てみると、舳先には20センチほどの黒い毛髪の束と手のひら大の鏡が取付けられている。乾季の太陽がじりじりと照り付ける中、あたりの禍々しい気配にぞくっとする。カンボジアの幽霊は昼間も出ると言われていたのを思い出し、見学もそこそこに寺院を後にしたのだった。 それから20年後。タケオ州の村の夫の実家にいつものように遊びに行き、カンボジア料理と昼寝を堪能した後、プノンペンへ戻るために午後、車で村を出発した途端のことだった。突然、吐き気と腹痛が襲ってきた。車はあぜ道をのろのろ進む。大きな木が一本立っている村の入り口あたりまできたところで、私は助手席から転がるようにして外に出た。農作業をしていた二人の女性が驚いて駆け寄ってきて、私を凝視しながら恐ろし気な様子でひそひそと話している。私はそんなことに構っている余裕もなく、呼吸を整えてやっとの思いで車に乗り直し、シートを倒してなんとかプノンペンまで持ちこたえたのだった。そして今明らかになるあの気配の正体とは 今回、この原稿を書くにあたって、あらためてそれらの出来事は何だったのだろうと、現地に行ってどうしても確かめたくなった。しかしコロこわいもの時空を越えて忍び寄る奇々怪々な気配
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