フィールドプラス no.26
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 「ゴンタウって聞いたことあるでしょう。それが盛んな地域の出身だっていうから、こわくて解雇したの」 はじまりは突然だった。香港でヘルパー(家政婦)として働く東南アジア出身の女性についてフィールド調査をしていた私は、雇い主である香港人にも聞き取りを行っていた。その最中に、突然、「ゴンタウ」という耳慣れない広東語を聞いたのだ。私が「聞いたことがない」と答えると、タイなどの東南アジアで盛んな呪いのことで、漢字では「降頭」と書くと説明された。相手の食べ物に何かを混入したり、あるいはその人をかたどった人形に針を刺したりして相手を呪う術で、ヘルパーの中にも雇い主に対してそれを使う者がいるのだ、という。 香港では、外国人ヘルパーは雇い主家庭に住み*写真はすべて筆者撮影。14週に1度の休養日である日曜に公園に集まる外国人ヘルパー。日曜の香港の風物詩だ。込むことが義務づけられている。全く異なる背景を持つ人々と同居する中で、さまざまな文化的衝突が起こることは予想していたが、そこに呪いが含まれるとは思っていなかった。はじめてこの話を聞いた時も、「まさか、信じられない」というのが第一印象だった。 家庭の悩みを相談するネット掲示板にも、ヘルパーの怪しい持ち物を見つけた雇い主が「ゴンタウだろうか」と尋ねる投稿が散見された。人口750万人程の香港で働く東南アジア出身のヘルパーの数は30万人以上で、おおよそ6世帯に1人が雇用されている比率になる。少なくとも香港の人々にとって、この身近な異郷人が用いるゴンタウの恐怖はある程度リアルなものであるようだった。る番になった。しかし、決まって「東南アジアの呪いだろう」という漠然とした言葉が返ってくるばかりだった。実際のところどんな呪いなのかを聞いても判然とせず、具体的な地域名を聞いても、タイ、インドネシア、ベトナム、マレーシアなど東南アジアの国名が羅列されるだけだった。 特にタイで盛んな呪いだというが、香港の外国人ヘルパーの多くはインドネシアやフィリピンの出身者である。先述の雇い主が雇用していたというのも、インドネシアのジャワ島出身の女性だった。なぜジャワ島の女性が、タイの呪いを使うというのだろう。調べてみると、インドネシア出身のヘルパーについての同様の疑惑は、時折新聞などでも報道されていた。 香港で働く外国人ヘルパーは、インドネシアとフィリピンの出身者が大半を占めるが、フィリピン出身者については同種の■は聞かなかった。英語に堪能なものが多く、大部分がカトリック教徒であるフィリピン人ヘルパーは、香港において、インドネシア出身のヘルパーと比してより「近代的」であると考えられていて、ヘルパーを斡旋する仲介業者の広告でもそのように宣伝されている。インドネシア出身者とフィリピン出身者に対する呪いのイメージの相違は、彼女たちの祖国の実際の文化慣習に由来するものではなく、香港人のそれぞれの土地に対する偏見に関わるものであるのだろう。 聞き取りを進めていると「昔、そんな映画が流行った」という言及に出会った。確かに1980年代から90年代にかけて、香港では「ゴンタウ映画」(降頭片)と呼ばれる東南アジアの呪術を題材にしたホラー映画が多数作られていた。プロットはどれも似たり寄ったりで、香港人男性が東南アジアに出かけ、現地の女性といい関係になるが、結局彼女を捨てて香港に戻る。その後、香港に戻った男性の身体や精神に異常が発生して、彼はインドネシア人ヘルパーの多くはイスラム教徒であり、街中ではヒジャーブ姿の女性の姿も珍しくない。呪いとの出会い小栗宏太 おぐり こうた / 東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程東南アジアと呪いのイメージ この呪いについて調べるために、今度はわたしが人々に「ゴンタウってわかるでしょう?」と尋ねこわいもの こわい隣人香港における東南アジアの呪いのイメージ呪いなんて遠い世界の出来事だと思っていた。民族誌の古典や、あるいはフィクションで読むだけの存在だと。私自身の生活や、あるいは私のフィールドである香港の都市社会とは無縁なものだと思い込んでいた。

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