かし今その言語地図を見てみると、はっきりと地理的に偏った分布が出ていて興味深い。この稚拙なトライアルから出発して、先達の素晴らしい研究に触れる機会も増え、次第に、この方法が川西民族走廊の言語特徴形成過程を捉える上で有効であるとの認識を深めるようになった。するために、文の中心となる「述部」を「動詞」、文に欠かせない名詞句である「項」を「名詞」として話を進めることにする)。だから、英語の“It rains.”のように、降雨現象を動詞中心で表す言語(タイプA)もあれば、日本語の「雨が降る」「雨だ」のように名詞中心で表す言語(タイプB)もあり、また、どちらが中心とも言えない、言い換えるとどちらも同等に重要であるタイプの言語(タイプC)もある。例えば、トルコ語では、“yağmur yağ-…”のように、名詞も動詞もyağ-という降雨現象を表す語根から作られたものを使うのだそうだ(図のC-1)。ビルマ語(ミャンマー)では、“mo: jwa-…”のように言うが、一見まったく異なる形をしたmo:(名詞)も、jwa(動詞)も、降雨現象を表す。このほか、そもそも、「雨」のような名詞も“rain”のような動詞もなく、「水が落ちる」のように別の意味の語を組み合わせて降雨現象を表すという言語もある(図のC-2)。ダパの家屋。家は、村の人々で協力し合って、石を積み上げて作る。屋上に麦干しスペースがあり、最も高いところにある部屋は仏間になっている。ダパの集落の一つ。上から見下ろして撮ったもので、集落の向こうに谷があり、その向こうがまた山という構図。図 「雨が降る」文のタイプ分布概略図。ダパの人々。このおばあさんは、前髪を切りそろえた、ダパの特徴的な髪型(チベット風ではない)をしている。た。それぞれのタイプが地図上のどの場所に見られるかを確認し、地理的につながっているところを線で囲んでいった。その結果、図のようなアジア全体の分布図を描くことができた。この地図から、次のような歴史的変遷を仮定することができる。最初にタイプAがあり、タイプBがあとから広がった。これにより、タイプAが分断され、端の方に残った。タイプCはさらに後から騎馬民族の移動と共に広がったり、所々で発生したりしたタイプと考えられるだろう。 このプロジェクトは、大言語からあまり知られていない小さな言語まで、多くの言語のデータをくみ上げているのが特徴である。その多くは、私がダパ語の調査に取り組んだのと同様の、一つ一つの言語調査、記述、分析を背景にしている。そうして記録されたデータが、数百、数千と蓄積される。それらを一つのテーマの元に切り取り、地理言語学という研究方法を用いて分析する。小さな点からアジア全域を覆う広大な面へと、一直線につながり広がる、そんな学問の妙に触れえたことに感謝したい。 中国ダパ語が話される地域川西民族走廊タウ四川省ABC-1C-211「降雨現象」をどのように表すか? 2015年に「アジア地理言語学研究」プロジェクトが始まった。第1期の最後のテーマとして「雨が降る」を意味する文のタイプを扱うことになり、その取りまとめをさせていただくことになった。ダパ語の表現は、タイプとしては日本語に似ている。名詞mokku「雨」を主語とし、動詞tɛ「来る」の前に下向きの方向を表す接辞a-を付けて、“mokku a-tɛ…”(雨が下りて来る)のように言う。しかし「雨が降る」の表し方は言語によってさまざまで、「雨が降る」を表す文のタイプだけを扱った論文がいくつもあるほどだ。特に、非人称的な文として言語類型論的観点から研究されている。これを調べる中で出会った、『言語学大辞典 第六巻 術語編』(三省堂)の「非人称動詞」にある次の説明が、私の目から鱗を落としてくれた。「(日本語の)雨ガ降ルという表現も事実にそぐわない形式的な構文である。というのは、これも降雨現象を述べているだけで、雨というものがあって、それが降るのではない。」つまり、雨というモノはなく、コップに入れてしまえばただの水だ。それが上空から降ってきていてはじめて雨である。 ここからは、その現象の総体を、上の説明にもあるように「降雨現象」と呼ぼう。降雨現象は総体的で、そこに名詞も動詞もないが、人はそれを言語の文に合わせた形で表現しなければならない(分かりやすく一つの「点」からアジアの「面」へ 類型論的分類を踏まえ、プロジェクトに参画する専門家たちから各言語グループの情報と地図をいただき、分析に取りかかっ
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