図2 東アジアの「鉄」における2つの語形。図1 ミャオ・ヤオ語族の分布(Encyclopedia Britannicaをもとに作図)。 表1の中央の欄は、ミャオ語系とミエン語系から一言語ずつを選んで「鉄」を表す語を示したものである。これを見ると、ミャオ語はl̥-、ミエン語はɬ-という子音で始まる語である(l̥-とɬ-は、いわゆるl(エル)の一種で、発音のときに普通の発声をしないで、単に息を吐きだすと生じる子音である。後者の方が雑音が大きい発音を表す)。ミャオ語とミエン語の大きな違いは、音節についている記号Cと数字の7で、これは声調の違いである(ミエン語の第7声調は短く高く発音する)。このミャオ語のC声調とミエン語の第7声調は規則的な対応である。両者共通の祖先言語で-kで語が終わっている場合に、ミャオ語ではこの子音が消失し、声調はC声調になる。一方、ミエン語では-kは-ʔに変化し(-ʔは喉で息を止める調音を表す)、声調は第7声調となる。表1の右の欄に「鉄」と並行的な例「得る」をあげたので見ていただきたい。「得る」を意味する語は、中国語の「得」からの借用語だが、ミャオ語ではtuCとなり、ミエン語ではtuʔ7となる。中国語「得」は隋の時代にはtokのような発音だったと考えられているから、話はぴったりと合う。ちなみに、日本語では「得」は音読みでtokuで、中国語の-kを保存している。*l̥ik > tʰetミャオ族の村のある夏の日。のようなものだったらしい。後の時代に、*l̥ikの語頭のl̥-はtʰ-に規則的に変化し、*-kは-tへと変化したのである。上古中国語のこの語は、ミャオ・ヤオ語族の語と瓜二つである。実は、l(エル)で始まり-kで終わる「鉄」は、ミャオ・ヤオ語族の他にも南中国の少数民族の言語に多数見られる。タイ語系言語であるチワン語(竜州)のlik7やダイ語(シーサンパンナ)のlek7などである。さて、図2を見ていただきたい。中国語に地理的に近い、あるいは中国語と同居状態のミャオ・ヤオ語族やタイ語系諸言語では、上古中国語の語の形に近いものが、地理的に遠い日本語ではそれより後の時代の語形がみられるのである。いろいろな条件を付ける必要はあるものの、ミャオ・ヤオ語族(やタイ語系諸言語)は日本語より早い時代に中国語から「鉄」をもらったと解釈できる可能性がある。そうだとすると、これは、ミャオ・ヤオ語族の人たちが、今を■ること二千数百年以上前から、中国語と密接な関係を持っていたことを示唆している。「鉄」はミャオ・ヤオ語における中国語の深い影響が垣間見える語なのである。 ミャンマーラオスタイ中国ベトナムミャオ族の村で使用されている刃物のひとつ、穂摘具。粟などの穂を刈り取るのに使う。の「鉄」の発音は、隋の時代には、tʰetのような発音であったと考えられている(tʰはtの後に激しく息が漏れる発音を表す)。ちょっと大雑把なまとめ方になるが、日本語における「鉄」の発音tetsuの語頭のt-は、tʰetの最初のtʰ-に対応するし、語中の-ts-は、tʰetの最後の子音-tを保存している。日本語が「鉄」という語を受け入れたときには、中国語ではtʰetのような発音だったのだろうと推測できる。ところが、先にミャオ・ヤオ語族の「鉄」は、語頭の発音はl(エル)の一種で、最後の子音は-kだったと述べた。全然似ていないのである。どういうことだろうか。 面白いことに、最近の古代中国語の研究によると、おおよそ周代の言語である上古中国語の時代には、「鉄」の発音は、*l̥iklek7l̥oCɬjeʔ7lik7日本語tetsuシーサンパンナ貴州・開陽広西・江底竜州ミャオ語ミエン語中国語9ミャオ・ヤオ諸語に残る古い語形 ところで、ここに疑問がある。中国語
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