FIELD PLUS No.25
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5FIELDPLUS 2021 01 no.25麦粉の食べ方 上の木簡の例からは、チベット軍の軍事拠点であった地域において兵士や役人には麦粉や酒などが配給されていたことはわかるものの、それをどのように食べていたのか、その詳細を知ることはできない。しかし、麦粉は現代のチベット文化圏で日常的に食される食品でもある。最もよく知られるのは大麦粉をバター茶などで練って団子状にして食べるものであろうが、麦粉にはほかにも様々な食し方がある。例えば、筆者が調査で訪問したザンスカール (インド・旧ジャンムーカシミール州)の民家では、自家製のバターで作るバター茶や同じく自家製のどぶろく酒などで客人をもてなしてくれたが、その際、大麦粉を酒に入れてスープ状にして食べると美味しい、と勧められたことがある(写真4・上)。日帰り放牧の昼食でも、体力がつくのでこの食べ方をよくするのだそうだ。また別の家では、大麦粉と水を鍋で火にかけながら練った団子状のもの(パバ)を振舞ってもらったこともある(写真4・下)。硬い麦粉の生地をちぎり取って食べるのである。自家製のヨーグルトをつけて食べるとより美味しいそうだ。古代チベットの兵士たちがどのように麦粉を食べていたのかは知る由もなを取り上げたい。 西域南道地域に駐屯していたチベット軍は、基地となるマザールターグからリ・ズグと呼ばれる見張り、ないし偵察の任務へ兵士を送り出していた。兵士たちは、隊長、副隊長、料理人、料理人補佐の4人ひと組に組織され、当面の食料とともに後に補給される食料の引き換え札を持って任務へ赴いたらしい。その食料札とみられるのが、写真2の木簡である。写真の木簡3点はそれぞれ独立した3片の木簡であるが、この種の木簡の作成段階を説明する形状を持っている。まずはじめに短冊状の木簡が用意され(上)、次の段階で中央下部に三角の切り込みが入れられる(中)。最終的には切り込みの頂点から木簡の右側へ向かって木片を裂き、右下部が切り取られる(下)。木簡には、兵士の見張り地の名称や配給される穀物の名が記されている(裏面に記される場合もある)ほか、短い刻み目や長い刻線が付けられている(木簡右側)。刻み目は上下両辺で対称の位置にあり、刻線は上下両辺を貫いている。写真(下)のような包丁型をした木簡は補給食料を運ぶ使者が、切り取られた右下の木簡小片は見張り兵がそれぞれ持っており、両者を合わせて形と刻線の位置、刻み目の数が符合すれば食料受領者であると認められる仕組みになっている。いわゆる「割り符」なのである。武内氏によれば、短い刻み目は穀物の量を示している。したがって、写真(下)の木簡では大麦4デーが配給されたことになる。デーというのは穀類や果物をはかる単位であり、20デーが1ケルに相当する。また別の包丁型をした木簡の裏面には「ルガンは麦粉1ケルと4デーを受け取った。後に半デー(以下欠損により内容不明)」というような、配給穀物の一部が未収であるので後に受け取る旨を記したものもある。 そのほか、刻み目と穀物名が記され、やはり右下部が切り取られた四角棒状の木簡もある(写真3)。この木簡には「新年の[ボーナスである]麦粉と酒は[今は]不足しているので、後で集める。不足分は木簡の小片に分けて[書いておき]、小片はスパサデに与える」と書かれている。武内氏によれば、これはスパサデという名の役人へのボーナスに関する木簡であり、不足分が配給されるまでの間、割り符の小片をスパサデ自身が持っておくようである。木簡右側には、麦粉と酒という書き込みに重ねてやはり数量(ここでは不足分)を示す刻み目がつけられている。いが、今みた例などはバターなどの乳製品が入手できないような状況下でも可能な食べ方であろう。古代のチベット人は何を食べていたのか 今回紹介した木簡資料は、軍事拠点での兵士の糧食という非日常の食の一端を記した資料であった。携行可能で保存可能な食品として選ばれたのが麦粉であったのだろう。しかし同時に、麦粉は現代のチベットでも広く利用される食品でもある。それを考慮すれば、古代のチベット人にとって最も重要な食品であったために糧食として選ばれたと考えることもできるのではないだろうか。 古代資料の中から「食」に関する情報を収集する作業は、まだ始まったばかりである。2020年度から始動したアジア・アフリカ言語文化研究所の共同研究プロジェクトでは、チベット・ヒマラヤ牧畜地域の乳製品をはじめとする食文化についても共同研究を進める予定である。木簡のみならず、手紙や契約文書なども視野に入れ、文献を用いた古代チベットの食文化研究へのアプローチを試みたいと考えている。 写真4 ザンスカールの家庭でのもてなし(筆者撮影)。上: 大麦粉を自家製酒(チャン)に入れていただく。下: パバ。自家製ヨーグルトとミックススパイスをつけて。青海湖ワハーン回廊ヒマラヤ山脈ヤルツァンポ川崑崙山脈天山山脈パミール高原タクラマカン砂漠チャンタン高原ゴビ砂漠敦煌(莫高窟)ミーラーントゥルファンマザールターグコータンラサ

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