4FIELDPLUS 2021 01 no.25小説は、この文成公主を主人公に、彼女の激動の人生とロマンスを描いた全27巻の物語である。本シリーズは、少女向けのライトノベルという枠内で展開されているものの、前述の資料に基づく古代チベット史研究を参照していることが透けて見え、読者層が少女だけに限られない点において非常にユニークな小説である。小説中では、唐から輿入れした文成公主がチベット(吐文成公主はウサギの肉がお好き? 古代チベット帝国の礎を築いたソンツェンガンポは、世界史の教科書にも登場する有名な人物である。そして、その王妃として唐から降嫁した文成公主もまた、漢籍にもチベット語資料にも確認される人物であり、おそらく一般にもある程度知られる人物であろう。集英社コバルト文庫から出版された毛利志生子氏の『風の王国』という蕃)の食文化、特に乳製品やパレと呼ばれるパンを苦手とし、ウサギの肉やヤク、羊の肉を好む様子が描かれている。小説の人物設定や出来事が必ずしも史実を反映しているとは限らないし、その必要もないと思う。実際のところ、残念ながら文成公主の食の嗜好がわかるようなチベット語の第一次資料は管見の限り見つかっていない。それでは、小説家が期待するような食の記述は、古代文献の中にはないのだろうか。チベット語の木簡資料 古代のチベットを知るための第一次資料としては、敦煌文書のような紙に書かれた文献や、石碑・磨ま崖がい碑などの石刻碑文、そして、ここで紹介する木簡がある。西域南道のマザールターグやミーラーン、現在の区分で言うと新疆ウイグル自治区の南部に位置するこれらの地域には、かつて古代チベットの軍事拠点が置かれていたため、チベット語の記された木簡が2,300点ほど見つかっているのである。いずれも、砂漠の中でも入手可能なタマリスクの木片を利用した幅2cm程度の小型の木簡である。木簡は表面を削り取れば書写媒体として再利用できるほか、木片として使うことで食具としても二次利用できる点で紙にはない利点を持っている(写真1)。以下、古代チベットの木簡に関する武内紹人氏の先駆的研究から、「食」の様子を探ってみたい。見張り兵の糧食と役人へのボーナス 武内氏は日本の平城京出土木簡を研究する舘野和己氏との共同研究(「中央アジア出土チベット語木簡の総合的研究」平成12年度~14年度科学研究費補助金・基盤研究C-2)により、チベット語木簡の記述内容だけでなく形状や利用法に関しても考察している。その中に、興味深い利用法を持つ木簡が紹介されているので、以下に2つ本文でいう「古代チベット」とは、時代的には7世紀初めから9世紀半ばごろを指す。チベット高原に初めての統一国家が誕生し、軍事帝国として中央アジアの覇権争いに参加していたこの時代のチベット人の食文化について、文献学からは何が言えるだろうか。西田 愛 にしだ あい / 京都大学白眉センター(人文科学研究所)、AA研共同研究員写真2 食料札の作成段階。上: 短冊状の木簡(ⒸThe British Library: IOL Tib N 1107)。中: 割り符を作るための切れ目を入れた木簡(ⒸThe British Library: IOL Tib N 1436)。下: 割り符の小片を切り取った木簡(ⒸThe British Library: IOL Tib N 1103)。写真1 木簡の再利用。上: ヘラ(ⒸThe British Library: IOL Tib N 1407)。下: ナイフ(ⒸThe British Library: IOL Tib N 1061)。写真3 役人へのボーナスに関する木簡。上: 四角棒状の木簡(ⒸThe British Library: IOL Tib N 1924)。下: 上の写真の右側一部を拡大したもの。上辺に数を表す刻み目が見える。木簡に記された古代チベットの食文化
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