おやつに蛙を捕ってきてあぶる。冠婚葬祭におけるクライマックスは、肉の山分け。奥の二匹の犬(ホワイティとボス)はこのあと食べてしまった。鉄砲虫を捕る。茹でたコパの実。薩摩芋は炉の灰の中で焼き芋にするのが伝統的で一番シンプルな晩御飯である。27FIELDPLUS 2021 01 no.25 豚にせよ、羊肉にせよ、大きな肉塊を調理する際は、焼け石を使った蒸し焼きにする。豚なら先に解体しておく。普通は、地面に穴を掘って地炉とする。焼け石を敷き詰めたところに食材を入れて、あとから若干水を垂らす。蒸し上がったら祭場に運ぶ。儀礼には演説がつきものである。有力者の演説が一通りすむと、いよいよ肉を取り分ける段である。主催者が、バナナの葉に肉を盛り、家族ごと、あるいは個人ごとに名を呼ぶ。多くは持ち帰って、家族で分けて食べる。日本なら結婚式の鯛といったところか。伝統的な珍味 狩りや釣りは盛んではないが、有袋類や蛇、魚が時々とれる。犬、猫、時にはモルモットなど、ペットも美味しく見えたら444444444444食べる。木に鉄砲虫が巣食ったとなると、大人も子供も大喜びで捕りに行く。これらが日常にアクセントをつけてくれる。文明国からの闖入者は、近現代の栄養学を振りかざし、「けれども、これが彼らの貴重な蛋白源なのですね」と解説する。 ドム人は、彼らの住む環境を標高が高めの森の方と低めの河の方の二つの地域に分けて把握する。象徴的に、森の方にはアムルの木が育ち、河の方にはコパの木が育つ。どちらもタコノキ科の木で実を食用にするのだが、見た目も可食部も異なる。この二種の珍味は重要で、かつてはこれを両地域で交換する儀礼があった。コパの実は、赤く熟れたものをもいで、なかの白いワタを取り、茹でてこねる。種だらけの真っ赤な油脂分のペーストができあがる。これをすくって、口の中で種を選り分けながら味をかみしめて、西瓜の種を吹き出す要領で種を出す。茹でた野菜になすりつけて食すのも一興である。市場の食 ドムで「市場」と呼ぶのは、毎日人の集まるところである。必ずしも商業的な活動がその中心ではない。井戸端会議が始まればそれが市場だし、野外でトランプやビンゴが始まれば、それこそ立派な市場である。そして、ものを売りたくなったらそこへ行くのが便利である。日用のものは自給自足で足りる。市場では小銭でパパイヤ、パイナップル、胡瓜、クラッカーを買ってつまんだり、あるいはお喋りをしたり、ゲームの見物をしたりする。血縁があり顔見知り同士の小さなコミュニティーで金が回る。 夕方になり、日中トランプに打ち興じた配偶者が帰ってくると夫婦喧嘩が始まる。子供はバッタが食べたいと泣く。あんまり泣くので母親は「バッタを捕りに行くよ」と長いスコップを手にする。子供は慌てて母親のスカートの裾をつかんで立ち上がる。子供をあやす方便かと思ったら、本当に何匹も捕ってくる。もう少し大きな子供は蛙でも大蜥蜴でも一人で捕ってきて、家の炉であぶって食べる。年寄りが愚痴をこぼす。「昔はお金ってもんがなかったんだ。昔はバッタや蛙なんかしかなかったんだ。お金が入ってきて、今の子はクラッカーや缶詰や即席麺を食べるんだ。」録音機を操作する私を指差す。「全部お前たちが持ってきたんだ。」そして、即席麺をのせた米の飯に舌鼓を打ち始める。
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