FIELD PLUS No.25
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24FIELDPLUS 2021 01 no.25には制約がある。フィールドの利点を最大限に活かし、かつ実行可能なテーマは何か? 人類が普遍に持っている「顔」に注目することになった。その後、科研費の新学術領域研究(「質感」および「顔身体」)への参加や、成果論文の公表を経て、錢(心理学)と田(生態人類学)が仲間に加わった。こうして、アフリカの一部と日本だけの比較から、複数大陸における多文化間比較研究へと発展していった。 実験屋とフィールド屋が相互に乗り入れる研究過程で、協働の形態がダイナミックに変わり続けてきた。当初は実験屋が仕込んだタブレット装置を使ってフィールド屋が自身の本業調査の合間にデータを取り、帰国後に高橋がそれを分析するという分業体制を取っていた。しかし現在では実験屋の高橋や錢がフィールドワークをか?)は(スマイリー)のような絵文字を見て、容易にその感情を読み取る。ではスマイリーは通文化的なものなのだろうか?そんな単純な疑問から、タンザニア、カメルーン、日本の3地域でフィールド実験を行なった。実験は、タブレットに出てくる顔写真や絵文字が笑顔なのか悲しい顔なのかを判断するという内容である。結果は予想外の驚くべきものだった。顔写真では文化依存性はほとんど見られず、どの地域でも笑顔は笑顔として認識される。ところが、絵文字の場合にはタンザニアとカメルーンではこちらが想定した感情が読み取られないことが多くあった(図2)。端的に言えば、が笑顔に見えないのである。 その後、なぜが笑顔に見えないのかを探る中で、この話はさらなる展開を迎えている。翌年のフィールド実験では、図式化された笑顔を描画するという描画実験を行なった。すると日本では多くの場合、目・目・口の3部位で顔が表現された(これは、認知心理学の知見から容易に予想できる結果である)のに対し、タンザニアやカメルーンでは鼻(しかも点や丸のようにシンプルなものでなくかなり具体的な)や鼻梁眉弓線など、目と口以外の部位も多く描かれた(図3)。この問題の探究は進行中だが、現在では顔の図式化や記号化の形態、ひいては顔認識の枠組み――つまり顔の中の顕著な特徴を伝えるもの――に文化依存性があるという予備的結論に至っている。こう考えると、が笑顔に見えないのは不思議ではない(目・目・鼻に見えていたら笑顔の手がかりはない)。 ところで、フィールド実験の場には実験データとしては浮かび上がらない多くの発見がある。絵文字と描画のフィールド実験から、フィールド屋は実験の枠組みをはみ出して展開される語りと相互行為の世界に関心を持った。例えばのような図式的な顔は私たちから見れば顔の記号に過ぎない。 ところがフィールドでの語りの中からは、しばしば異なるモードの解釈が見られた。例えば大石によるカメルーンの調査では、農耕民バクエレの男性は極度に細部が単純化された顔であるスマイリーは「死んだ後の顔」であるとつぶやき、別の狩猟採集民バカの少年は「(具体的な個人名)がぼーっとしているところ」だと解釈した。1おこなう一方で、島田、大石、田らフィールド屋も実験の過程で現れるオモロイことを見出している。実験屋とフィールド屋が緩やかに課題を共有しつつ、異なる視点から同じ「フィールド実験」の場を眺め、その経験を日本に持ち帰り、実験データとともにフィールド実験の場で生まれる新たな発見について議論し、次の研究へつなげる。そんな越境的異分野融合がまさに進行中なのである。フィールド実験で明らかになったemojiの感情の文化依存性――スマイリーは誰にとっても笑顔に見えるのか? 共同研究で得られた成果をひとつ紹介したい(Takahashi et al., 2017)。私たち(ところで「私たち」とは一体誰なのだろう図2:絵文字実験の結果。顔写真(左)に対する表情判断はどの地域でも似通っていたが、絵文字(右)では地域間で大きな違いが見られた。図3:様々な地域で描いてもらった笑顔のイラスト(左からタンザニア、カメルーン、フィンランド、日本)。笑顔と判断される程度笑顔カメルーンタンザニア日本笑顔中立中立悲しい顔悲しい顔10010075752525005050

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