22FIELDPLUS 2021 01 no.25危機感を抱くこともある。 同じ奥出雲町内で別の方に調査した時のことである。「『馬』を何と言いますか」という質問に対して、その方は「『馬』は『ウマ』だ」とお答えになった。そこで、「『オマ』のようには言いませんか」と尋ねると、「うちの方言はそんなに訛っていない」と言われる。伝統的な出雲方言では、単語の頭に出てくる標準語の「ウ」は「オ」と発音されるはずなのだが、いくら調査をしても、それは確認されなかった。もちろん調査による緊張の影響なども考えられるが、このようなことは1度だけではなかった。伝統的な出雲方言が徐々に失われていっているのを感じている。コロナ禍の中で…… 伝統的な出雲方言の調査研究は遠くない未来により難しくなる。そうなる前に調査を急がなければ……そう思っていた矢先に、新型コロナウイルスの影響で現地調査ができなくなった。また、最近になって、親しくしていただいた協力者の方の訃報を受けとり、強い悲しみとともに焦りを感じたりもした。 全国の多くの方言が同じような状況にある。なすべきことの多さに比べて、残された時間はあまりにも短いように感じる。しかし、今は、いつかまた調査が出来る時が来ることを願いつつ、少しずつでも出来ることをやっていくしかない。 標準語のウ段音がオ段音で発音されることもよくある(「麦」は「モギ」など)。当初私は、先の「クソー」という形も、そのような「訛り」の1つとして説明できると思っていた。 しかし、標準語と奥出雲方言の間の「音の対応」を整理したところ、「クソー」という形が実はそのような「訛り」としては説明できないことが分かった。上述の通り、標準語のウ段音が、奥出雲方言でオ段音となることは確かによくある。しかし、標準語の「ス」に当たるものが「ソ」で発音されることは、その時点では「クソー」を除いて他になかったのである。 行き着いた結論は、「クソー」という形が日本祖語の「名残」なのではないか、ということである。実は、琉球方言から得られた証拠によれば、「薬」を意味する日本祖語の形は「クソリ」だと考えられる。この「クソリ」という形が、「単語の途中で標準語の『リ』や『ル』に対応する音が脱落する」という出雲でよくある変化を経験したとすれば、先の「クソー」という形の存在は無理なく説明される。一方、標準語の「クスリ」は、日本祖語の形が別の方向に「訛った」ものと言えるだろう。 「クソリ」という形は『万葉集』など文献資料の中には現れない。文献資料だけでは遡ることができない文献以前の日本語の姿に、方言の調査研究から迫ることができたのである。期待と危機感 上述の研究を通して、奥出雲方言の調査研究が、日本祖語の姿に迫るための重要な鍵となると確信した私は、現在、そのような視点から調査を進めている。つまり、まず、他方言にある証拠から日本祖語の形を推定し、それが奥出雲方言の中で起こった変化を経たとすれば、どのような形になるかを予測する。そして、その形が実際に使われているか否かを確かめながら調査するのである。上述のおばあさんから教えていただいたところでは、他にもいくつか日本祖語の「名残」と思しき形式がありそうである。調査をしていると、少しずつ日本祖語の姿に迫っているような気がして、ある種の高揚感を覚えることもある。 しかし、そのような今後の研究への期待感がある一方で、出雲市駅から木次線に直接入るトロッコ列車「おろち」。和菓子ではなく,すべてお漬物。「八ツ橋」のように見えるのは,カブの漬物で梅肉を包んだもの。調査協力者の方がご用意くださった。縁結びの神様で有名な出雲大社。出雲大社がある出雲市で調査することもある。
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