17FIELDPLUS 2021 01 no.25ることになった。タイガの中を進んでゾスランに着くと、子どもたちが思い思いに遊んでいる。校長先生は子どもたち以上に陽気で、夕食の時間にしきりにアルヒ(ウォッカ)を勧めてくる。そうするうちに長い昼間が終わり、夜になったかと思うと、今度はダンスパーティが始まった。子どもたちも校長先生もさらにテンションが上がり、日付が変わっても踊り続ける。ようやくお開きになったのは午前1時、子どもたちはこれから馬乳酒を飲んで寝るそうだ。 伝染病での封鎖などどこ吹く風。冷静に考えれば、これで大丈夫なのかと思うところである。ただ、そんな疑問すら私には思いつかなかった。盛り上がり続ける子どもや大人のパワーを前に、驚くとともに、封鎖の中の不安や緊張感を、ただ忘れていたのだ。封鎖からの脱出に向けて 翌日ダルハンに戻ってみたものの、封鎖措置は変わらない。政府の非常事態委員会が足止め中の人々の対策に当たっているが、意見がまとまってないらしい。打つ手がない中、訪問客が来たというので出ていってみると、なんと筆者の大学の先生2人であった。われわれ同様現地調査中に封鎖に巻き込まれ、そればかりか帰国予定も過ぎてしまったそうだ。さらに日本人専門家の方々も加わり、お互い情報が入れば交換していこうという話になる。 ただ当然ながら、足止めを食っているのは日本人よりもモンゴル人の方が多い。同行するモンゴル人女性もウランバートルに子どもを残してきている。ウランバートルと連絡を取ろうにも、街中に市外通話ができる電話機は少なく、子どもの声を聞くには何十分も並んで郵便局の専用電話を使うしかない。明るく振る舞っているが、気が気ではないだろう。 そんな中、人々が県政府庁舎に集まって知事に談判を試みていると聞いたので、われわれも行ってみる。庁舎に着くと知事が人々を前に話していて、聞けばウランバートル市民も外国人も一緒に帰還させるという。ただ詳細はまだ決まっていないようなので、ホテルに戻って連絡を待つと、夕方になってウランバートルに帰れるとの一報があった。足止めに遭った人の個人情報を記入した書類を県政府に提出し、健康診断を受ければ、明後日の朝にウランバートル行の汽車に乗れるとのことだ。 翌日になって書類を提出する。ただ、なぜか健康診断は不要と言われた。よく分からないが、足止めされた旨の証明は受け取れたので、とりあえず良しとしよう。ひとまず安堵はするが、ダルハンの状況が変わったわけではない。それどころか物不足はさらにひどくなり、夕食を調達しようにも、商店には食べ物はなく、レストランは料理が作れず休業。すきっ腹を抱えたままというわけにもいかず、日本人専門家の方のお宅に押しかけて助けを求めると、日本からの食料を分けてくださった。 そして出発日。早起きして駅に向かうと、既に周辺はごった返している。ただ駅員は乗客をまともに整理しておらず、駅の構内に入ったら改札をするから出て行けと言い、それで出ていけば、なぜか構内に引っ張り込む。何が何やら分からない。ホームに行けば行ったで、汽車が着くや乗客が我先に乗ろうと押し合いへし合い。それでも何とか乗り込んで席を確保すると、汽車は30分以上の遅れでダルハンを出発。その後は何事もなく移動でき、夕方には無事ウランバートルに到着した。 封鎖という措置があること自体は事前に知っていたものの、自分が経験するとは思ってもみなかった。ただ、措置がどういうものか、影響を閉じ込められた内側から体感できたのは、終わってしまえば貴重な経験ということになるのだろう。 そして何とか乗り切れたのは、間違いなくダルハンの方々の助けのおかげだ。カウンターパートの方は封鎖脱出のため県知事にも談判してくれた上、別れ際には昼食にとホーショール(揚げ餃子に似たモンゴル料理)まで持たせてくれた。現地の日本人専門家の方々には一度ならずの食料支援に加えて、ウランバートルとの連絡も手伝っていただいた。ただ頭が下がるのみだった。そして2020年 それから20年以上過ぎた2020年12月上旬現在、モンゴルは再び国全体が封鎖下に置かれている。中国武漢での新型コロナウイルスの蔓延が明らかになるや、モンゴル政府は国境封鎖を決断、さらに入国・帰国を認めた人々にも2、3週間の隔離措置を課すことで、感染拡大を防いできた。しかし、11月についに国内感染者が発生、政府は外出制限や県をまたぐ往来の停止、商店の閉鎖、アルコールの販売・提供禁止などの措置を打ち出した。これにより、8万人を超える人々が移動先で足止めされることとなった。 12月に入って措置は一部地域を除いて緩和され、足止めされた人々の送還も始まった。とはいえ、今も万単位の人々が自宅に戻れず、送還用のバスや飛行機に乗れるのを待っている。また封鎖自体は続いており、解除される日は遠い。その中で、人々は困難や不安、先の見えなさに直面し続けている。 ゾスランのダンス大会。日付が変わっても音楽は止まらず、小さな子どもまでもが踊り続けている(筆者撮影)。フィールド調査団とカウンターパートの一行(筆者は上段左から4人目、同行者撮影)。ダルハンの工業地帯。封鎖下でも工場は稼働しており、煙突が煙を上げている(筆者撮影)。
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