FIELD PLUS No.25
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16FIELDPLUS 2021 01 no.25モンゴル国ウランバートルダルハンダルハン=オール県になってしまう。 筆者は1996年8月、初めてモンゴルを訪れる機会を得た。地方における社会開発に関する研究調査プロジェクトに加わった筆者は、北部オルホン県ジャルガラント郡から、ダルハン=オール県の中心都市ダルハンをめぐる調査行の途上にあった。 そして、感染発覚の第一報を受けた。感染症が何なのか、まだ確たる情報はない。心配にはなるが、ダルハンで感染者が出ていないなら大丈夫だろう。当初は、まだそうタカをくくっていた。 しかし、それは甘い期待だった。翌日に48時間の封鎖措置が発動、その対象にダルハンも含まれたのだ。そして次の日、発生したのはコレラだとの話が入ってきた。ダルハンでも感染者が出たという。モンゴルではコレラの発生は半世紀以上滞在先で封鎖措置発動 近くのソム(郡)で何か伝染病が見つかったらしい―そう聞いたのは、モンゴル国(以下「モンゴル」)第2の都市ダルハンに到着してすぐのことだった。 モンゴルで伝染病の発生は珍しいことではない。むしろ、夏から初秋にはタルバガン(マーモット)由来の腺ペストが毎年のように発生する。病気でノミのついたタルバガンに触れたり、狩って食べたりすることで、ノミを通じてペスト菌が人間にもうつるのだ。 もちろん感染は恐ろしい。ただ感染しなかったとしても、厄介なのが封鎖措置だ。感染の拡大を防ぐため、ペストの感染者が出た地域は封鎖され、域外との出入りが禁止される。巻き込まれたらよほどのことがない限り、封鎖解除まで足止め状態なかったことで、ペストの方がよほど慣れている。それだけに、ペストよりも大それた話になるかも知れない。 はたして封鎖は全国に拡大し、国際線以外の全ての交通が遮断されてしまった。ダルハン周辺の封鎖も48時間で終わるわけがなく、それどころか無期限延長となった。封鎖の影響で物資は少なくなり、ホテルのレストランは料理が1種類出せるか出せないかになってしまった。カウンターパートの方が作ってくれた料理や、ダルハンで開発プロジェクトに携わる国際協力事業団(現国際協力機構)の日本人専門家の方々からの差し入れでしのぐが、それも毎食は頼れない。手持ちの食料もほとんどない。ひとときの安らぎ そのうちに当初の調査日程を過ぎてしまい、いよいよすることがなくなった。そこでカウンターパートの提案もあり、気分転換にと子どもたちのゾスラン(夏季の林間学校)に泊りがけで出かけ新型コロナウイルスの感染拡大によるロックダウンが各地で続くモンゴル国。もっとも、伝染病対策での封鎖措置発動は過去にも行われてきた。20 年以上前、筆者自身もそんな封鎖下に閉じ込められる羽目になった。湊 邦生 みなと くにお / 高知大学モンゴル国のロックダウン1996年8月、封鎖下のダルハンにて感染症対策特別編フィールドで見つけました連載企画2草原に浮かぶダルハン=オール県の県都ダルハンの市街地。モンゴル第2の都市ではあるが、当時も今も人口は10万人に満たないのどかな街である(筆者撮影)。突然の封鎖措置を知らされた後、ダルハン市街地を見下ろす丘の上で座り込む筆者(同行者撮影)。*写真はすべて1996年当時のもの。

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