15FIELDPLUS 2021 01 no.25蚊やボウフラの調査研究もしている。媒介蚊の調査分析は重要で、データは殺虫剤散布や蚊帳の配布といった予防対策に活用される。ボウフラ捕食魚 2017年にキャンディ県マラリア地域事務所を訪問した。医師やPHIと一緒に中庭に出ると、何やら網のかかった発泡スチロールがみえる。「これは何?」と聞くと「ガンピ」。ああ、そうだ、グッピーだ。スリランカではボウフラ駆除のため、グッピーやティラピアを捕食魚として活用している。マラリア対策では適切に薬剤を使用し、バランスを考えながら自然の力も活用している。デング熱調査で訪問したコロンボ市のPHIも同じようにグッピー達を紹介してくれた。マラリアの流行と媒介蚊 マラリアゼロを達成するのは容易なことではない。マラリアに大きく関係する媒介蚊とはどんな特徴を持ち、どこに住んでいるのだろうか。マラリアを媒介しているのは、夜に吸血活動を行う夜間吸血性のハマダラカ属の蚊で、予防には蚊取り線香や蚊帳の使用が効果的である。この蚊は農村地帯の小川や河川などを好んで生息している。マラリア流行地は蚊の分布に伴い北部・東部・南部の乾燥地帯である。湿潤地帯ではあまりみられない。媒介蚊が意外にも乾燥地帯に多いのは、時期により川の水が少なくなり、水溜りのような場所ができて、それが最適な住処となるからである。 しかし、1934年~1935年の大流行では、湿潤地帯でも流行した。干ばつが長期間続いたことで、湿潤地帯でも河川が乾燥し、水溜りのような場所が増加して媒介蚊の生息域が拡大した。経済不況と雇用不足で働き場所を求めて乾燥地帯へ移動する人も多く、マラリアに感染した人々が療養のため再度湿潤地帯へ戻ったことも流行と関連している。普段と違う気候・人の移動・環境が爆発的な流行につながった。当時も対策として臨時治療所の増設等迅速な治療体制強化やボウフラ対策が実施された。1946年に殺虫剤(DDT)の使用が始まるとマラリアは急激に減少し、1963年には国内感染は6件となった。再流行からゼロ達成へ 撲滅まであと一歩となったマラリアだったが、1967年以降再び増加し、1969年には50万件を超えた。再流行の背景には、感染件数減少で警戒感が弱まったこと、蚊にDDTが効かなくなったこと、さらにマラリア原虫にも薬が効かなくなったこと、開発によって生態系が変化したことがあげられる。人々や環境は時と共に変化し、媒介蚊や原虫も少しずつ適応や変化をしている。だからこそ、マラリア対策には早期発見や迅速な治療、人々の防蚊に関する意識の向上、更に蚊が生息する場所や薬の効果に関する変化を知ることが重要となる。 マラリア再流行後は科学的な調査や分析を基に対策を行った。例えば、殺虫剤の変更、農村地帯での健康教育や殺虫剤入りの繊維を使った蚊帳配布、内戦地域や僻地をカバーした移動診療所の拡張である。そして、再びマラリア感染件数は減少し、2012年10月を最後に国内感染はゼロとなった。人々の防蚊方法と変化 スリランカの防蚊法はシトロネラ等のオイル、蚊帳、蚊取り線香、防蚊クリーム、屋内用殺虫剤等様々である。防蚊商品はスーパーで購入可能なので、私もシトロネラオイルを購入し、服や布の鞄にスプレーして使っている。多種多様な防蚊商品がある中で、スリランカの人々は主に蚊帳と蚊取り線香を選択している。トリンコマリー県(かつてのマラリア流行地)では蚊帳の所有率がマラリアゼロ達成前では59%であったが、ゼロ達成後は83%に変化している。マラリア対策重点地域では蚊帳の所有率がもともと高いか、以前より増加していた。反対に、マラリア非流行地では、所有率が低いかあるいは大きな変化がない。加えて、マラリアの高リスク地域とそれ以外では水溜りの排除・周囲の清掃への取組みや、症状に対する認識にも差がでている。つまり、マラリア流行地では対策を通して個人レベルで防蚊意識や行動に変化が起きている。今までとこれから スリランカのマラリア対策は成功するかにみえた後の困難な時期を経て、過去に学び、現在の状況を分析し、そして現在はゼロを維持している。失敗から原因を探り、複合的な対策を行った結果、人々の意識や行動が変化した。新型コロナウイルス感染症でも、スリランカ国内の流行前に中国の状況と対応を分析し、情報通信技術(ICT)を活用した対応等を多機関多分野連携で進めている。現在のところ、致死率や人口当たりの死亡者数は近隣国や日本よりも低く抑えられている。マラリアという一つの大きな課題を克服してきたスリランカは、今までに培った経験・知識・技術を今後にも活かせるのではないかと思う。 スーパーで購入可能な防蚊オイル(上から二段目)。ゴミの分別。
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