12FIELDPLUS 2021 01 no.25声による表現の多様性 声によるコミュニケーションといわれて最初に思い浮かぶのは、ことばによる会話だろう。しかし、まだことばを知らない子どもでも、声を出して泣いたり、笑ったりして要求を訴え、感情を表現する。また人が歌うのを聴くとき、歌詞の意味がわからなくても、聴き手は何かを感じとり、ときにその声に魅了される。したがって声は、会話を成立させるために不可欠な音であると同時に、人と人を結びつける神秘的な力をそなえた響きであるといえるかもしれない。 『声の世界を旅する』は、民族音楽学者でありインドネシアをはじめとする東南アジアの伝統音楽に造詣が深い増野亜子が、世界の様々な文化における声を用いた表現について、幅広い視点から考察した本である。「歌」をテーマとしてとりあげた論考は数多いが、本書は考察の対象を「声」にひろげ、その音表現の多様性を論じている。例えば「くしゃみ」や「あくび」のように「思いがけず生じる声」、呪文や儀礼言語、動物の声など。「地球のさまざまな場所から聞こえてくる、多様な声に耳を澄まし、その響きの向こうにいる人々について思いを馳せてみたい(15頁)」という熱い思いが伝わってくる。 本書のもう一つの魅力は、いくつかのテーマを設定して、それぞれに関連する様々な事例をとりあげ、地域やジャンルを横断して論じている点である。例えば、歌唱と身体運動の関わりを論じた第三章では、「まりつき歌」や「なわとび歌」といった日本のわらべ歌からはじまって、ニュージーランドのマオリたちが伝承してきた「ハカ」へ、つづいて「にしん漁の歌」、最後は「囚人たちの歌」へと思索をめぐらせる。またこの章では、歌の旋律や掛け声と身体の動きについて、楽譜とイラストを用いて詳細な分析がなされている点も興味深い。のばして、揺らして、響かせる声 声楽に関心がある読者に、ぜひ読んでいただきたいのが「のばして、揺らして、響かせる声」と題した第五章。この章では「フリーリズム」と「メリスマ」がクローズアップされている。フリーリズムとは「拍節感がない、あるいは希薄な音楽の性質」を意味する用語である。たとえば江差追分の歌唱などがその例で、一つ一つの音節をひきのばして、朗々と歌う。それぞれの音節がのばされるとき、多くの場合「揺れ」や「ふるえ」をともなう。このような歌い方がメリスマとよばれる。 増野氏によれば「フリーリズムの音楽の多くに共通するのは、のびやかに蛇行し、うねり、流れる音の感覚」であり、メリスマ的歌唱法は「感情を解き放ち、感情に声をゆだねること」と関わりが深い。十七年ほど前、私はインドに三年間留学し、インド古典声楽を学んだのだが、そのときに強く感じたのがまさにフリーリズムとメリスマの魅力だった。呼吸と一体になったリズム。ペイズリーの模様のように柔らかな曲線を描く旋律。それらの根底には、「歌うことは様々な情感(ラサ)を表現する行為である」という、インド古典音楽の美学がある。 第五章の末尾で、増野氏は次のように問いかける。「川のように自在に流れる息のリズムの音楽に、身をゆだねて流されていきたいと感じることは、ビートに身体が反応してリズムをとりたくなることと同じくらい、自然なことなのではないか。(99頁)」音楽を聴くときに限らず、とかく分刻み、秒刻みの時間の枠に縛られて行動しがちな現代の私たち。時にそんな日常から解き放たれて、たゆたいながら流れていく声に耳をかたむける必要があるかもしれない。 丸山洋司 まるやま ひろし / 東京芸術大学非常勤講師世界各地の生活に根差した声の文化に思いを馳せる本。おすすめCD音源や動画サイトの案内が豊富で、実際に音を聴きながら読みすすめられて楽しい。コロナ禍により海外渡航が容易にかなわない今、是非読みたい一冊。増野亜子『声の世界を旅する』『声の世界を旅する』増野亜子(音楽之友社、2014年)ミャンマーの「精霊(ナッ)を宥める儀礼」の様子。歌手の掛け声が演奏を盛り上げ、儀礼の場の独特な高揚感と一体感を生み出す。(2014年、マンダレーにて、筆者撮影)
元のページ ../index.html#14