11FIELDPLUS 2021 01 no.25取り置き、親戚にも一部分け、残りは、道沿いで商店を営む友人の家の大型冷凍庫に保存させてもらっていた。調理に必要な時にはその都度、冷凍庫から取り出して持って帰る。日本では1食分の献立がキットになったミールキットが流行っているが、牧畜民たちも、枝肉や挽肉、ソーセージを、1回で調理する分ごとにセットにして冷凍保存し夏でも効率的に肉を利用していることが分かった。牧畜民をとりまくさまざまな変化 牧畜民たちの冷凍庫利用のうまさも発見であったが、食事の計量調査をして一番驚いたのは夏と冬の食事で季節変化がなくなったことであった。貴重なもののたとえとして使われてきた「夏の肉 冬のヨーグルト」のうち「夏の肉」の価値は一年を通して平均化され、夏でもヨーグルトが食されなくなった。 テント生活をする夏の放牧地であっても、脇に道ができたため、電気が通っている知り合いの家までバイクで行って冷凍庫が利用できる。街まで行きやすくなり、現金収入を得るために、なるべく多くの乳製品をに供されたが、ヨーグルトが作られたのは多くの客人を迎える際の1回のみであった。2軒目の牧畜民家庭L家には1週間滞在したがその間もヨーグルトは1回しか作られなかった。つまり、2家庭ともヨーグルトがほとんど食べられていなかったのである。 それでは、以前は毎日のように作っていたヨーグルトを作らず、搾ったミルクは夏の間どうしているのか。D家では毎朝ミルクを攪乳器にかけ、分離した乳脂肪分を貯めておき、3日に一度バターが作られていた。そのバターは家庭で使用する分以外は、50キロの袋詰めにして22キロ離れた冬の営地近くの商店までバイクで運んで売っている。L家の放牧地は街から15キロと近く、搾乳したミルクをプラスチックボトルに詰め、毎日バイクで運んで売りに行っていた(写真4)。ミルク、またそれを加工したバターは牧畜民の貴重な収入源となっているのである。インタビューによると、最近では、よほど好きでなければ毎日はヨーグルトを作らないという。ミールキットならぬミートキット それでは夏に何を食べているのかというと、肉である。それは、以前であれば腐敗しやすいため夏には畜がほぼ行われず貴重品であった。茹で肉(写真5)、肉饅頭、そして夕食にほぼ毎晩食べる麺類にも肉が入っている。2019年8月上旬にD家でヤクを1頭畜した。肉は部位ごとに解体され、肋骨の肉は骨つきのまま1本ずつ切り分けられた。内臓や肉、脂肪を刻んで小麦粉とともに腸に詰めた白いソーセージ、血の塊や肉、塩、香辛料を詰めた赤いソーセージもその日のうちに作られた。処理が終わると、それらは、調理1回分の量ごとに胃袋やビニール袋に包まれた。白いソーセージと赤いソーセージは1回で茹でる量を2種類セットにしてビニール袋に詰められた(写真6)。D家で数日中に食べる分を売るようにもなった。攪乳器の導入により、ヨーグルトを攪拌してバターを取り出す必要がなくなったこともこの傾向を助長した(平田氏の指摘による)(写真7)。道、電気、市場経済、そして、攪乳器導入。また、今後も、中華料理の影響や菜食主義の流行によって牧畜民たちの食卓は変容しつづけるであろう。特に日常食の記録は文献には残りにくい。長期的には、牧畜民の食卓を定点的に観察し食文化の記録をするとともに、食という視点を通して彼らの環境や生活スタイルの変化などを追っていきたいと思っている。 写真4 撮影当日の朝とその前夜に搾乳したヤクの生乳を街に売りに行く一家の主。写真5 ヤクを畜した当日に振る舞われた茹で肉。写真6 調理1回分ごとに分けられたヤクの肉と内臓。写真7 電動の攪乳器 (クリームセパレーター) でミルクを乳脂肪分 (クリーム) とそれ以外に分離しているところ。
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