FIELD PLUS No.25
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8FIELDPLUS 2021 01 no.25アムド・チベット アムドとは、中国西北部に位置する青海省、そして、甘粛省南西部と四川省北西部を含めた地域の名称である(図1)。この地域において、牧畜を生業とする人々をアムド・チベット牧畜民と呼ぶ(写真1)。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の共同利用・共同研究課題「“人間―家畜―環境をめぐるミクロ連環系の科学”の構築~青海チベットにおける牧畜語彙収集からのアプローチ」に参加する機会を得て、2014年からアムド・チベット牧畜民の生業を調査してきた。 彼らは、ヤクに大きく依存している。ヤクは、標高2,000m台から5,000m台の高地で飼養されており、冷涼環境に適応したウシ科の家畜である。妊娠期間は9ヶ月ほどであるが、泌乳は1年以上にわたって続く。ヤクの搾乳は、野生植物の多い夏期では朝晩2回/日で、乳量は1頭当り1ℓ/ 回ほどである。冬期には朝1回/日の搾乳となり、乳量も落ちる。しかし、ヤクの魅力は、1年にわたって搾乳できることにある。妊娠しなければ、2年にわたって搾乳牧畜を支えるミルク 乳利用の歴史は1万年ほど前に西アジアで始まる。ヒトが野生動物を家畜化してから、それほど間を置かずに搾乳が開始されたと考えられている。乳という文化を考えると、それは単に食料であるだけでない。毎日搾乳できるという食料供給の継続性、搾乳するために母子畜を分離する群れ管理、飼料確保と飼料給与、本来は自らの子のみに許容するはずの哺乳を他種動物(ヒト)が搾乳できるようにするための技術開発、雌畜の妊娠・出産・泌乳には選ばれし少数の雄畜のみで用を成すことから、多くの雄畜は生後間もなく間引かれることとなる個体の育種・選抜と、乳文化は牧畜という生業の本質に関わる重要な文化項目なのだ。アフロ・ユーラシア大陸の暑熱乾燥地帯の牧畜という生業の成立には乳文化が深く関わっている。乳文化の視座から牧畜のあり方や特徴を説明することができる。乳文化学なる既成学問はない。牧畜という生業の発達史を紐解くための乳文化研究の可能性を問いに、アムド・チベットに向かった。が可能となるという。農作物が基本的には栽培できない高地で、アムド・チベット牧畜民にとってヤクのミルクは貴重な食料源となっている。アムド・チベット牧畜民の乳文化 1980年代にアムド地方にクリーム分離機が導入される以前は、生乳を発酵乳にしてから、バターやチーズを加工していた。生乳をオマと呼ぶ。搾乳したばかりの生乳を、加熱殺菌しないまま、容器に取り分けておく。数日、そのまま容器に置いておいて、自然発酵を促す。この自然発酵乳もオマと呼ばれる。自然発酵乳は、木製の攪拌桶と攪拌棒により攪拌してバターを加工する。バターをマルと呼ぶ。攪拌回数は1,000回ほどで、1日かかる仕事となる。温度が低くなり過ぎた場合、自然発酵乳を温めて攪拌作業をおこなう。攪拌桶には蓋が付いており、攪拌棒を差し込む穴には、攪拌中に自然発酵乳が飛び出してしまうのを防止するために、20cmほどの襟がついているのがアムド地域の特徴である(写真2)。かつては、バター加工にヒツジの革袋牧畜民に脈々と受け継がれる乳文化。牧畜民は、家畜を食べるよりも、むしろ生かし共存し、ミルクを搾って生活する。ミルクから何が観えてくるのだろうか。乳文化研究の視点や面白さを紹介しよう。平田昌弘 ひらた まさひろ / 帯広畜産大学、AA研共同研究員ミルクを求めてアムド・チベットを旅する図1 北方乳文化圏と南方乳文化圏の地理的分布、および、チャーンのアムド・チベットへの伝播。出典:平田昌弘『ユーラシア乳文化論』(岩波書店、2013)より改編。写真1 標高約3,500mにあるアムド・チベット牧畜民の夏営地。ヤクから搾乳している。*写真はすべて筆者撮影。

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