7FIELDPLUS 2020 07 no.24場した新語と言われており、2019年の動乱では香港の法令や警察の内規を超えて市民を弾圧する警察を罵る語として頻繁に使用された。2音節語を1文字で表すのは、粤語史上これが最初であろう。しかも、文字構造では「黒」が下、「敬(警の声符)」が上に位置している。人間の言語の表出は時間軸に沿った線条の連続体をなすが、この線条性に着目すると「」は「黒警」との間に不一致を起こしている。文字新造のメカニズムに照らしても貴重な新例と言ってよい。 次に挙げるのは「曱ガーッチャーッ甴PoPo」ならぬ「曱甴PP」である(写真4の左側)。「曱甴」はゴキブリを意味する粤語の固有語、「PoPo」はpoliceの第一音節を重複させて作られた新語であり、「曱甴PoPo」でデモ隊に扮して活動する私服警官を意味する。これだけならば、香港でよく見かける粤語と英語を組み合わせた複合語に過ぎない。しかし、「PoPo」の「o」に縦横一画ずつを加えることで、「曱甴」を模した字体「」を編み出している点に注目したい。アルファベットから漢字(広東字)が造り出されているのである。同じ意匠を凝らした字体は他の場所でも確認できた。黒服を着用したデモ隊武勇派は香港警察から「曱甴」と罵られた。この縦画と横画の添加には武勇派の、隊内に潜む警官に対する侮蔑、いや言葉による復讐が込められていると考えられる。尚、「曱甴」は第二次世界大戦以前の文献では「甴曱」と記されている。「曱甴」と記すようになるのは遅くとも1970年代からであるが、そこにはゴキブリを表す語の第一音節[ka:t]と「甲」[ka:p]の聴覚印象が似ることによるアナロジーが働いている。 最後に挙げるのは、「」である(写真5)。これは香港で英語のfuckに当たる罵詈雑それでも、今の香港では代表的な広東字は概して『香港增補字符集』と同じ字体で手書きされる傾向が強い。書き記すという人間活動において、粤語に特徴的な語の表記は香港字の字体に収斂しつつある。これは大多数の市民がコンピューター・ネットワークを利用していることと関係していよう。パソコンを介しての印字では尚更のことである(写真3)。 この様に述べると、インターネット時代の画一化された文字使用という烙印を押されてしまうかもしれない。文字コードに登録されている字こそが現代の「文字」なのであり、登録されていない字は文字として存在しないのだという極論すら聞こえそうだ。しかし、私たちは手書きの政治的メッセージを通して、香港人の文字使用が決してその様に単純な構図に収まるものではないことを知ることになる。広東字が香港字へ収斂するなど、テクノロジーによって字体の標準化が高度に実現しているこの時代に、香港字を超えた新しい字体が蠢うごめいているのである。スプレーを用いているとは言え、それらを生み出しているのは手書きに類する身体行為であり、書き手の大多数は何と幼少期に既にパソコン、さらにはスマホが普及していた若年層である。香港字の先へ 香港字を超えた字体の筆頭に挙げるべきは「」である(写真4の右側)。これは「黒ハーックケン警」という2音節語を1文字で表した字体である。まだユニコードにも登録されていないが、私の知る限りこの字体は2016年に香港で刊行されたある書物に登場したのを先駆けとする。「黒警」という語自体は2014年に雨傘運動が展開された過程で登言に用いられる漢字「屌ティーウ」を変形させたものであり、「吊」が香港鉄道(MTR)のロゴの前景部分「」に変えられている。2019年の動乱では香港鉄道は警察の行動に歩調を合わせた輸送態勢や対応を取ったとして、デモ隊武勇派の攻撃対象となり、90%以上の駅で破壊行為が行われた。漢字とロゴのコラボレーションと称すべき「」に、単なる文字遊びとは性質を異にする、攻撃的な意思を感じるのは私だけではあるまい。 以上の3例は多分に政治的な意図に基づく文字構造をなしている。2019年に香港人が取った行動は、政治的無関心という香港社会についての旧来の固定観念を覆すに十分なものであった。そこに出現した文字もこれまた然りであり、「漢字は生きた文字である」といった修辞すら生易しく感じられる。固定観念を覆した字体に、私たちは既にその先へと向かう香港の香港たる所以を見るのである。 写真3 市民会館の側壁に設けられたレノンウォール(香港島西サイワンホー湾河)。印字された文の中に広東字「哋」や「嘅」が見える。写真4 陸橋のエレベーターに記された政治的メッセージ(九龍旺モンコック角)。写真5 鉄道駅を示す標識に記された漢字(九龍尖チムサーチョイ沙咀)。
元のページ ../index.html#9