FIELD PLUS No.24
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4FIELDPLUS 2020 07 no.24 大学院に進学する際に、中国文学から日本文学に移り、日本製漢字(国字)を専門に据え、先達に学んで地域独自の方言漢字(地域字)を使う地を探訪し始めた。修論や雑誌論文にまとめるために、最初に東京から近い神奈川の壗まま下したを訪れた。ママは奈良時代からの関東の方言で、崖や畦などの斜面を表している。実際に扇状地には崖があり、街中で「」という生活の中で使われる略字も写真に収めた。このように各地で国字が造られ、方言漢字となった。 伊豆では「墹まま之の上うえ」が大おお字あざになっている(①)。ほかに小こ字あざや名字に使われるママや「硲はざま」などを目指し、伊東に移住した両親の家を拠点に下田や南伊豆、松崎まで電車やバスを利用して調査に向かった。複写を許さない役人の横で必死に土地台帳を書き写す。一方、コピー機を使わせてくれたうえに「学生から金は取れない」と微笑む役人もいた。民家では、年配の方に手作りの食事を頂きながら、方言や漢字に関する伝承を伺うこともあった。 調査地では郷土史に詳しい方を紹介されることが多いが、彼らは現地の地名に対して柳田国男の考え方やアイヌ語・朝鮮語起源説を当てはめるなど、住民の素朴な意識を超えた説明を語ることがある。民俗学や語学による解釈よりも、普通に暮らす方の話と伝来の古地図など生の文献こそが資料として価値を持つことに気付いた。地元の神主やお坊さんのお話も、やはり日常の文字から離れがちであった。一期一会のフィールドワーク デジカメがない頃は、面白い字を見かけ、今度撮ればいいと思って後日カメラを抱えて再訪すると貼り紙ごと消えていたことがあった。まさに一期一会だ。学生時代には大学構内の立て看板にも生々しい手書きのフィールドワークの始まり 静かな書斎で帙ちつを繙ひもとき古書を淡々と読解して過ごす穏やかな毎日を想像し、漢字の研究に憧れを抱いた。卒論を書くために、書籍を購入し、またあちこちの図書館に入り浸り、文献資料を探しては膨大なコピーを取り続けた。 しかし、図書館にある膨大な書籍を読むうちに、漢字の実相を知るにはそれでは足りないことに気付いた。人々が何を考えながらどんな漢字を使っているのかについて、すべてが活字になっているわけでないことを悟ったのだ。JIS漢字の幽霊文字(誤写によって生じた字)や小こ字あざ300万件に関する文献を調査してその思いは強まった。書物に収められたいわゆる口碑も、元を辿れば地元の住民が語る話から掬い取られたものだったはずだ。略字が描かれていたが、メモをとるばかりだった。 その後、国立国語研究所で電子政府の文字整理事業を担当し、調べるべき内容を列挙しそこに書き込みができるように調査票を準備して、各地を訪問した。公的な依頼文書を送付しておいたために役場では職員が総出で資料を探してくれたり、こちらが粘ると机の中から資料を出してくれたりした。その反面、最低限の資料だけが準備されたお役所仕事に直面したことや、市町村合併の進捗を探るために総務省から偵察に来たと勘違いされ警戒されたこともある。 学生時代に私を日本語学の分野へと誘いざっなてくれた漢字がその地名に入っている「ほとけ沢」という青森の地も訪ねることができた。帰り際にこの字を調べに来たと言うと、泊まった旅館の女将さんが、成長するにつれて「ほとけ→仏→」と3段階で書けるようになったと話して下さり、この字を文献研究に基づきJIS漢字に追加しておいて良かったと思えた。 各地に出向いて話を聞けば、「誤字」「俗字」などのラベリングの表層性に気付く。誤って「妛」という幽霊文字を生んだ、滋賀県の「あけん原ばら」では、この字の使用実態とアケビの植生を確認した。限界集落を探査する中で、わずか数名の住民によって「」は文字としての生命が支えられている状況が確かめられた(笹原『日本の漢字』岩波新書、2006参照)。 福井市内の「どんど」(「堂」「」)は古い方言で「用水路」を意味し、それを表すために国字「峠」を改造して作られた方言漢字である(②)。住民の方々には、そこに残された焼き場の跡まで見せてもらい、様々な裏話を聞かせてもらった。役所の人には、通常は閲覧が許されていない文書を見に特別に車で連れて行ってもらった。 いずれも大雨の直後だった。空気の匂いや風を感じながら、草むらをかき分けて地形を確かめ、土地の産物を食べる。高知では、帰りの電車に間に合うように、道行く人に地名の字について尋ねた。そこに暮らす人の声と肉筆に触れてこそ、方言漢字の使用を支える意識が分かるのだ。電車で終点まで行って、着いたら駅標を写真に撮ってすぐ引き返すだけという時などは後ろ髪を引かれるものだ。 畑で鉈を振り回しながら色々と教えてくれた村人に、次に訪れたときに再会できるとは限らない。人も移ろい、文字も変化する。アポなしで旅の人として飛び込み、準備のない人にさりげなく伺うことでふだん日本の人々は、7世紀から漢字に倣って国字を造り始めた。国字が漢字とともに使われるうちに、各地で方言や固有名詞などを表記するために方言漢字が生まれた。書き言葉と結びつく漢字に地域差があることはほとんど知られていないが、全国の方言漢字がフィールドワークを待っている。笹原宏之 ささはら ひろゆき / 早稲田大学、AA研共同研究員①伊豆の国市の墹之上。2018年。方言漢字が略字でも書かれ、定着ぶりが見て取れる。②用水路を表した方言が地名に残った「どんど」(方言漢字で「」)。2004年(明治期の図面)。日本の方言漢字を訪ねる*写真はすべて筆者撮影。

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