26FIELDPLUS 2020 07 no.2426で開かれた「ユダヤ・フェミニスト国際会議」に遡る。すでに1970年代から女性のための祈りの集会を開催していた、米国からの移住女性たちが中心となり、会議の直後にトーラーを嘆きの壁に持ち込み、最初の祈りの会を行った。 彼女たちは引き続き(1989年と1990年の2回)、嘆きの壁での祈りの自由を求めて最高裁に申し立てをした。いずれも「聖地保護法」(1967年)と「ユダヤ人のための聖地保護に関する規則」(1981年)に即し、「聖地の慣例に則った形ではない宗教的儀式、およびその聖地での信奉者の心証を害する宗教的儀式を禁止する」ことを根拠として却下されている。つまり、嘆き 参加者の一人である70代のLは、ワシントン出身の女性だ。1960年代に留学してから断続的にイスラエルで生活しているが、2年ほど前に夫妻で本格的に移住した。彼女にとって、WoWに参加する以前の嘆きの壁は「ただの岩、壁」に過ぎなかったという。移住前は滞在に合わせて参加していたが、移住後には毎回参加している。彼女を一例として、とりわけ活動の初期は米国からの影響が大きく、フェミニズム的なユダヤ教の潮流も米国を中心として生まれたものである。嘆きの壁の女性たち WoWの発端は、1988年にエルサレムの壁を慣例的に統括する正統派の原則にそぐわないことを理由として、女性たちの集会は禁止されたのである。 1990年代には、壁に隣接する別の場所での集会の開催が裁判所からの提案として呈示された。実際に2000年代初頭には、嘆きの壁と連続した南側に位置する「ロビンソンズ・アーチ」(24頁上写真参照)が、男女混合の祈りの場として整備された。WoWの女性たちは、伝統的な祈りの場から離れ、他の信奉者を害さない形で祈るように命じられたのである。しかし、その後も彼女たちは嘆きの壁の前で新月の集いを続け、2013年までの間に数度の逮捕者が出る事態へと発展した。センセーショナルな事態は海外メディアにも取り上げられたことから、WoWの活動は欧米を中心に、宗教問題の一つとして注目されるようになった。 2008年から2019年5月までWoWのディレクターを務めたレスリー・サックスは、筆者のインタビュー(2019年9月)に対し、運動の位置づけについて語った。WoWはフェミニズム運動としては特殊な問題を扱っており、嘆きの壁という特定の場所に限定されている。その意味では、セクハラや賃金格差などの普遍的な問題と接続はされないが、公共空間における宗教に基づいた男女隔離や、宗教の自由といった問題につながっているという。 イスラエルでは、ユダヤ教の教義を公共空間に行き渡らせようとする正統派の政治的な影響力が強い。たとえば、安息日には労働を避けるという教義に従い、イスラエルの国中の公共交通機関は停まり、街中の店舗もほとんどが閉まる。かたやまったくユダヤ教の教義を顧みることのない世俗派は正統派に反発を覚え、同じユダヤ系イスラエル人の中でも溝が深まっている。しかし本来、まったく宗教に関心のない世俗派から、あらゆる教義をかたくなに守る超正統派まで、イスラエルのユダヤ教と言っても幅広いグラデーションが存在する。嘆きの壁は、さまざまな人に開かれた広場としての空間的特徴と、正統派が「慣習」を管轄し義務付けるという前提との間の矛盾から、宗教的なあり方の違いが鋭い対立として現れる場所なのである。 正統派男性たちの挑発女性たちは出口まで警備員に伴われ、祈祷用具を片付けながらガラス越しに男性たちの挑発を受ける。逮捕2012年11月、リーダーの一人であるレスリー・サックスとラヘル・コーヘン・イェシュルンが逮捕された時の写真。撮影:ミハル・ペテル、Women of the Wall(CC BY 3.0, https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Lesley_and_Rachel_Detained.jpg)。礼拝全景女性ゾーンの後ろ側では正統派の男性たちが祈祷の妨害のために大声を出したり歌ったりしている。
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