FIELD PLUS No.24
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24FIELDPLUS 2020 07 no.24は黒い衣装に身を包んで歌い踊る集団の高揚に印象付けられるだろう。イスラエルは国家の祝日をユダヤ暦に基づいて定めており、重要な祝日(ユダヤ新年や贖罪日など)には嘆きの壁は大勢の人でごった返す。成人儀礼の祝い事や、安息日(金曜日没から土曜日没まで)などにも事あるごとに敬虔なユダヤ教徒はここに集う。神殿の丘の西側外壁(位置関係は24頁上写真参照)の内、外から目に見える幅約57メートル、高さ約19メートルの壁が聖地の主要部分である。 紀元前1000年頃にエルサレムを首都とした古代イスラエル王国のダビデ王は、ここに神殿を建設した。バビロニア軍による嘆きの壁 嘆きの壁といえば、聖地が乱立するイスラエルのエルサレムでも最もシンボリックなユダヤ教の聖地である。地元のイスラエル人だけでなく、観光客や政府要人が世界中から訪れる。訪問者は、ある時は壁に身を預ける人びとの静謐な祈り、別の時に侵攻により神殿は破壊されたが、前537年に捕囚からの帰還を許されると、前516年に同じ場所に神殿が再建された。この第二神殿がローマ帝国により再び破壊された紀元70年以降、現在に至るまで再建されず残った遺構が現在の嘆きの壁の礎である。 もとより、エルサレムはイスラーム、キリスト教にとっての一大聖地でもある。エルサレムとベツレヘムでは、オスマン帝国時代から続く「ステイタス・クオ(現状維持)」が原則となり宗教間の均衡が保たれるという建前になっている。1967年の第三次中東戦争に大勝したイスラエルは、嘆きの壁を含む旧市街の管轄権を「奪還」原寸サイズイラレで制作お願いします。文字はいらないです。アルアクサ・モスクもいらない。シンプルトレースで大丈夫です。仕切り(2ミリの線で良し)と地色の色と、仕切りの切れ目(出入り口なのかな?)の関係はこんな感じ嘆きの壁は赤で嘆きの壁・神殿の丘全景嘆きの壁は高さ約19m。上部の神殿の丘はイスラーム地区に属し、アルアクサ・モスクの岩のドームが輝く。木製のムグラビ橋は非ムスリムが神殿の丘へ通り抜けるためのもの。安息日の嘆きの壁安息日や祝日には、祈りの人びとでごった返す。壁の前で祈り、祈りを書いた紙片を壁の隙間に挟みいれる。イスラエル旧市街拡大図レバノンエジプトヨルダンパレスチナ自治区エルサレム嘆きの壁ガザヨルダン川西岸キリスト教地区イスラーム地区神殿の丘ユダヤ地区アルメニア人地区*写真は25頁下と26頁下以外、筆者撮影。フロンティアエルサレムの嘆きの壁で月に一度行われるユダヤ女性たちによる祈りの会。周囲からの罵声や妨害にさらされながら、なぜ彼女たちは祈るのか。イスラエルの宗教界が抱える複雑な諸相の一端を報告する。フロンティアイスラエル・嘆きの壁で祈る女性たち宇田川 彩 うだがわ あや / テルアビブ大学、日本学術振興会海外特別研究員 

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