走馬灯のように蘇るのは、きっと子供のころに耽溺した物語 子供のときから物語を読むのが好きだった。『指輪物語』、『ナルニア国物語』、シャーロック・ホームズ、タコ星人と美女が闘う荒唐無稽なスペース・オペラ……。そうした物語に耽溺できた子供時代を思い起こしてみると、パッパこと父・森鴎外との甘美な幼年時代をすごした森茉莉には及ばないとはいえ、いまなおいくばくかの至福感を覚える。人間死ぬときはそれまでの人生が走馬灯のように浮かび上がるというけれど、私の場合、これまで乱読してきた物語の断片と登場人物が現れてお別れを言ってくれるのではないだろうか。 本好きが高じて、大人になってから翻訳をなりわいとするようになった。でも翻訳というのは一日中ああでもないこうでもないと文章をこねくりまわし、細々と調べものをしないといけない職業なのである。悲しいかな、一日のノルマをこなすと、ただでさえ容量不足の脳みそは疲弊して、寝る前にちょっと読書を楽しもうという気分になれなくなってしまった。そんなわけで最近の就寝前のお供にはもっぱら漫画、それも何度読みなおしてもそれなりに楽しめ、夢とうつつのはざまを行き来しつつ心地よい眠りに導いてくれるものを探し求めるようになった。化け物退治物語の枠組みを超越した幽玄さ なかでも愛読しているのは今市子の連作短編集『百鬼夜行抄』。初出が1995年だから、すでに四半世紀の長きにわたって描き続けられている息の長いシリーズである。物語の主役を務めるは気の弱いへたれ青年・飯嶋律。霊能者であった祖父の血筋のせいか子供のころから冥界の有象無象から余計なちょっかいをかけられつづけているが、悲しいかな、それを祓うだけの力はない。 その祖父・飯嶋蝸牛は怪奇幻想小説家として名高く、小説を書くために妖魔と取引していると噂されるほどリアルに鬼やら天狗やらの世界を描いて見せ、陰陽術にこってなにやら怪しげな呪術を操っていたという。だが物語の始まった時には、その祖父が亡くなってすでに久しく、律のそばにいるのは孫のおもり役にと祖父が残してくれた妖怪・青嵐だけである。青嵐は蝸牛の使い魔で、素性からしてかんばしくない存在なのだが、祖父との生前契約を守って、恩着せがましく律の命だけは守ってくれている。 その青嵐が巣くっているのが律の父親の肉体、実をいうと父親は律がまだ幼い時に心筋梗塞で急死しており、祖父蝸牛の命令を受けてその肉体におさまっている。青嵐にとっては父親の肉体は着脱可能の衣服のようなもので、一旦脱ぎ捨ててしまえばただの屍。青嵐当人は妖魔として生きていた時には味わうことができなかった人間生活をしこたま享受し、気が向けばもとの龍の姿にもどって、律を囮おとりにぞろぞろ集まってくる魔物たちを餌食にして食欲を満たしている。 さらに律同様に霊能力の片鱗を見せる従姉妹たち、頼みもしないのに押しかけ式神となり、人と妖魔いりみだれての酒宴を催し始めるカラス天狗の尾白・尾黒等々、多彩な登場人物が次々と現れて、物語を彩っていく。 同じような怪異な世界を描いても、楳図かずおは人間の心中のどうしようもない悪をこってりと描き、水木しげるは自分が感知した妖魔たちに姿と名前を与えて人間社会での市民権を与えてやった。今市子のアプローチはそれとはまったく異なる。いってみれば満月のもと、幽玄な夜桜見物に誘われるようなものだ。いくつものストーリーが複雑にからみあい、もつれ、著者の見事な手腕でひとつの結末に収斂していくのだが、そこもまたひとつの迷路、一陣の風が吹くとともに散る桜吹雪の中に去っていく異形の者たちの姿を読者は垣間見るのである。 三浦順子 みうら じゅんこ / 翻訳家、AA研共同研究員獲物を追う猟師のように文字を追い続けると脳は疲弊する。夜も更け、眠りたいのに寝られない。そんな時、心地よい夢の世界への最高の導眠剤となってくれるのが、桜の樹の下で妖魔たちが集い、カラス天狗が舞い踊る幻想漫画だ。今 市子『百鬼夜行抄』シリーズ最新刊『百鬼夜行抄27』今 市子(朝日新聞出版、2019年)夜な夜な再読しまくった『百鬼夜行抄』文庫版の山。一巻目の表紙は特にお気に入り。主人公・律と従姉の司、そして桜の枝のはざまからそっと顔をのぞかせる鬼たち(ソノラマコミック文庫『 百鬼夜行抄1』朝日ソノラマ、2000年ほか)。23FIELDPLUS 2020 07 no.24
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