9FIELDPLUS 2020 07 no.24までも漢字を用いて中国語とは系統の異なるベトナム語を表現したという点にある。文字の研究というと、どうしてもその最古の資料が知りたくなる。チュノムの場合、その具体的な資料について言及したものに、フランスの誇る東洋学者アンリ・マスペロ(1883-1945)の論文「安南語音韻史研究―語頭子音―」(BEFEO, XII)があり、「護城山」の碑文が紹介されている。1912年に刊行されたその論文は、ベトナム語の歴史について論じた古典的大著であるが、長きにわたり「護城山」の碑文の所在や内容が知られず幻の碑文とされてきた。ところが1980年代に偶然それが再発見され、2000年代に入ってその全貌が明らかとなった。以下、その経緯と筆者との関わりについて紹介する。碑文の再発見 紹豊二(1342)年に建立された「護城山」の碑文は、現在ベトナム仏教史の研究に従事するレ・ティ・リエン氏(ベトナム社会科学アカデミー考古学院研究員)が、1989年に卒業論文「ハナムニン省ニンビン市ノン・ヌオック山の陳朝期碑文群」を執筆する際に偶然再発見した。それは、現在のニンビン省ニンビン市にあるノン・ヌオック山(フランス領時代に護城山と呼ばれた)磨ま崖がい碑文群の内容を紹介したものであり、そこで「第7碑文」と付番されたものがリエン氏も指摘する通りマスペロの「護城山」碑文に他ならない。日本でベトナム李陳朝の歴史研究に従事する桃木至朗氏がそれをチュノムとは? 現代ベトナム語を表記する正書法は「国語」(クオック・グー)と呼ばれるローマ字表記法であり、それが普及する以前は「チュノム」という文字が使われていた。「チュ」は「字」あるいは「」と表記し「文字」を意味し、「ノム」は「喃」と表記し「通俗の」を意味する。したがって、チュノムとは「俗字」を意味し、元来「正字」とみなされた漢字と対立する概念である。ちょうど日本の「仮名」と「真名」の関係に等しい。しかし、実際にチュノムが使われていた時代には、その文字はチュノムとは呼ばれず、やはり「国語」(あるいは「国音」)と呼ばれた。最古のチュノム碑文 チュノムは、西夏文字など、組織的に作成され、ある時期一斉に普及した文字とは異なり、漢字で表現するのが難しいベトナム特有の語彙及び固有名詞を、同じ音(あるいは近い音)の漢字を当てて書き記したのがその始まりである。その本質は、あく聞きつけ、1998年リエン氏と筆者を含む一行がノン・ヌオック山に赴き、主要な碑文の拓本採集を行った。その後、筆者・桃木・リエンが改めて内容を分析したところ、そこには漢文に紛れ込む形で約20のベトナム語の数字と度量衡、そして本来漢字で表記できない地名や人名が、漢字の音を当てて表記されていた。典型的な初期のチュノムである。惜しむらくは、その冒頭部分約150字が欠落していた。欠落部の発見 ノン・ヌオック山は実に風光明媚な小山で、古来文人たちがそこに遊び、詠った詩歌を石灰岩の山肌に刻み後世に遺した。フランス領時代以前は「浴翠山」という名で知られていた。2014年にはニンビン省の景観が世界遺産「チャン・アン複合景観」として正式に登録され、今や北部ベトナムの主要な観光スポットの一つとして有名である。まるでその魅力に導かれるかのように、2006年筆者は再びノン・ヌオック山を訪れた。その3年前、東南アジアの一大スポーツイベントSEA Games 2003が、史上はじめてベトナムで開催されたこともあり、東南アジア各国から多くの観光客が訪れた形跡が見られた。ノン・ヌオック山近辺も入念に道路が整備され、山麓には「浴翠山」の名付け親である張漢超(1274–1354)を祀った神社も建てられていた。その神社の管理人と雑談していると、なんでも2002年頃に麓の道を舗装していたとき、邪魔な石塊を移動させようと引っくり返すとそこに文字が書いてあった。おそらくそこにある石碑の欠けた部分ではないか、と言うのである。はやる気持ちを抑えつつ、写真にその文面を収め、帰りの車内で画像ソフトを使って「護城山」碑文冒頭の欠落部と繋ぎ合わせてみた。すると、なんと見事に形状・内容ともにつながったのである。偶然にも、マスペロ論文の刊行以来94年目にして最古のチュノム資料の全貌が明らかとなった瞬間であった。そして、それは不意にできた空き時間に偶然立ち寄った際の出来事であり、自分が研究対象とするフィールドには定期的に足を運ぶことが大切だということを痛感した瞬間でもあった。 最古のチュノム碑文をもとめて漢字系文字の中でも、チュノムは特に漢字の字形に似ており、古い資料になるほど漢文に紛れ込む形で書かれるため、その見極めが難しい。以下、その最古の資料と言われる碑文にまつわるエピソードを紹介したい。清水政明 しみず まさあき / 大阪大学、AA研共同研究員拓本採集の足場を組んでいるところ。ハノイニンビン市ノン・ヌオック山ベトナム「護城山」碑文(2行目中ほどの「没」はベトナム語mô・t「1」を表すチュノム)。ニンビン省の景観。*写真はすべて筆者撮影。
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