FIELD PLUS No.23
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6FIELDPLUS 2020 01 no.23展し続け、カイロ旧市街が形成されていった。市域の中では多くの人が密集する街区が形成され、主要な街路ぞいには有力者によってモスクやマドラサなどが次々と建てられた。この結果、カイロは当時の中東地域で最大規模の都市へと成長し、「世界の母」「千のミナレットの街」と言わしめる繁栄をむかえた。カイロの都市化と水問題 都市の建設・発展・維持には、ライフラインとしての水インフラの整備がかかせない。水道設備のない前近代のカイロでは、革袋にいれた飲み水をロバや人力で売り歩く水売人(サッカー)から買うのが一般的であった。しかし、14世紀中頃のマムルーク朝最盛期のカイロには30万人をこえる人々が暮らしていたという。人が必要とする飲用水は一日2ℓほどといわれ、それを基にすると約600tの飲用水が日々必要となる。その他の生活用水も加えると、水売人だけで必要な水がまかなえたのだろうかと疑問がわく。加えて、水売人の水はただではない。水の価格についての史料はとぼしいが、1346年にナイル川が渇水した時「世界の母」カイロ エジプトの首都カイロは、現在1,500万人をこえる人口を擁し、中東地域を代表する大都市である。カイロはエジプトを南北に縦断するナイルが支流に分かれる、上・下エジプトのちょうど結節点にあたる。7世紀中ごろにエジプトを征服したアラブ・ムスリム軍は、現在のカイロ南方に天幕を意味するフスタートと呼ぶ軍営都市をおき統治の拠点とした。ここはエジプトの地理的要所であるとともに、アラビア半島のヒジャーズ地方にエジプト産小麦を運ぶ、ナイルから紅海をつなぐミスル運河の起点でもあった。それから10世紀にファーティマ朝がカイロの語源になったカーヒラ城を建設するにいたるまで、エジプトを統治した諸政権はこのミスル運河の沿岸に政治の中心をおいていった。 また、12世紀のアイユーブ朝の創設者サラディン(在位1169–93年)は、スルターンの居城として山の砦(カルアトゥル・ジャバル)をカイロ南東、モカッタムの丘の裾に建設し、フスタート、カーヒラ城、山の砦を取り囲む城壁を築いた。この城壁内は次代のマムルーク朝時代以降も発には革袋あたりの水の値段が銀貨3/4ディルハムから2ディルハムへと高騰し人々の生活を圧迫したといわれ、水の価格が生活に直結していたことがわかる。 実際、町中にはさまざまな形で貯水槽がおかれていた。その典型はモスクやマドラサにおかれた礼拝のための沐浴を目的とした水場と貯水槽である。1302年にエジプトを襲った大地震で被害を受けたカイロの代表的なモスクであるイブン・トゥールーン・モスクでは、改修の際に貯水槽が増設され、金曜礼拝後に人々がそこから水をくんでいくようになったという。またインフラとして水道橋も建設され、アフマド・イブン・トゥールーン(在位868–884年)時代の水道橋や貯水槽の遺構が確認できる。マムルーク朝前期のスルターン・ナースィル・ムハンマド(在位1310–41年[第3期治世])は、1312年に山の砦にナイル川から水を供給するため、市街を横断する長大な水道橋を建設し、今もその偉容を目にできる。これら水インフラが多く建設されたのもカイロがナイルの水辺でありながら、都市化と人口増加による飲用水不足に悩まされていたことを物語っている。サビール・クッターブとは何か? つぎにカイロの都市生活を支えた水インフラの一つとして、サビール・クッターブという施設を見てみたい。カイロの旧市街には、巨大なモスクやマドラサなど前近代のイスラーム王朝の繁栄をしのばせる歴史的建造物がひしめいている。その中でもカーヒラ城内の目抜き通り、バイナル・カスラインがちょうど分かれ道になる場所に、二階建ての装飾の美しい建物が残されている。アブドゥル・ラフマーン・カトフダーのサビール・クッターブと呼ばれるこの建物(1744年建造)は、二階に子どもたちがクルアーンを学ぶクルアーン学校(クッターブまたはマクタブ)、一階には格子窓が通りに面して設置された部屋(ハーヌート)がある。地階には貯水槽(サフリージュ)があり、そこからくみ上げた水を格子窓越しに通りを行く人々に無料で提供する給水施設となっていた。つまり、教育施設と給水施設との複合施設となっており、公益をになう宗教施設のモスクやマドラサと同じく、その建設や維持はワクフ(宗教寄進財)によって支えられていた。カイロ旧市街にはモスクやマドラサに併設された、または単独で建設されたサビール・クッターブが多数あり、アブドゥル・ラフマーン・カトフダーのサビール・クッターブは後者の代表例であ歴史的都市カイロはどのようにして発展してきたのか。14世紀から18世紀にかけてのマムルーク朝・オスマン朝時代のカイロに建設された給水施設サビール・クッターブから、イスラーム社会の水共有の知恵の一端を見る。村武 よしむら たけのり / 大東文化大学水辺のカイロ都市のくらしと水問題ナイルエジプトカイロ19世紀のエジプトを訪れたエドワード・W・レインが著した生活誌 An account of the manners and customs of the modern Egyptians に描かれた大きな革袋を抱えた水売人(右)。

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