28FIELDPLUS 2020 01 no.23必要があるということを学んだ。 カザフスタン領小アラル海を最初に訪れたのはようやく2013年1月、ウズベキスタン領大アラル海については、2015年9月が最初の訪問である。フィールドでは、かつてアラル海の湖岸に位置していた村々に住む人々からオーラルヒストリーやアラル海の将来についての意見を聞いて回った。その中で、オーラルヒストリーで得た知見を公文書の内容と比較検討する作業の必要性を痛感した。そして、筆者はモスクワだけでなく、カザフスタンの旧首都のアルマトゥ市や、環境破壊のまさに現場であるアラリスク地区の公文書館で作業を行った。旧ソ連やロシア帝国の地方の歴史について研究する場合、かつての国の中枢の公地域の漁師だけではない。季節労働的に生活費や小遣いを稼ぎにくる地元の人々もいれば、遠方からやって来て無許可で出漁する輩もいる。そのような人からすれば「魚がいればどんどん獲るし、いなければ湖に来ない」という考え方だとカザフスタンの研究協力者は言う。これに対して、漁業当局は漁業権保有者にボート台数、登録漁師の人数、漁網の種類などに規制をかけて対応しているが、あまり意味があるようには思えない。正規の漁業に従事する人が減ることで、密漁の横行を促してしまっている可能性も否定できない。漁網の規制は、違法で安価な中国製の漁網の投棄につながり、アラル海の自然環境を逆に汚染してしまっている。必要なことは、地域の住民にとって「アラル海は自分たちの湖である」というオーナーシップのような感覚なのだろうが、現行の漁業権制度の下でそれは容易ではないだろう。 別言すれば、小アラル海地域では、保全生態学の石川智士らが提唱するところの、「人々が地域の環境的豊かさを能動的・主体的に高め、その環境が有する資源を用いて地域が質的に豊かになる能力」と定義される、「エリアケイパビリティー」を高めることが必要なのである。アラル海研究は伝統的に自然科学者が中心となって知見の蓄積がなされてきたが、アラル海内部のことは実はそれほど研究が進んでいない。地域住民と研究者(自然科学と人文・社会科学双方)との協働の大きな可能性がここにはある。 小アラル海地域での牧畜の変容と地域格差 小アラル海地域でのフィールドワークの回数を重ねてゆくうちに、漁業だけでなく、カザフ人の本来の生業である牧畜の意義について再確認するようになった。筆者のメインフィールドは、都市部からもシルダリヤ・デルタからも離れた、小アラル海と大アラル海との狭間にあるA村だが、現地住民からの聞き取りによると、生活費は漁業で得た収入や、教師・公務員等であれば給与で賄うことができるという。自動車・家電など高価なものを購入したり、結婚・出産・子どもの儀礼の費用、家屋や家畜小屋の新築・修繕といった高額な出費を賄った文書館だけ調べればよいというものではなく、様々な行政レベルの文書を探し求めるべく、地方都市をめぐる必要があるのだ。 小アラル海漁業の現状と問題点 当初、アラル海のフィールドでは専ら漁業にフォーカスして調査を行った。2013年冬に初めて小アラル海を訪れた時は、2005年に小アラル海と大アラル海とを分かち、小アラル海の水位を維持するために建設されたコクアラル堤防の恩恵についての声が多く聞かれ、漁獲高も年々右肩上がりに増えているという状況だった。しかし、2016年頃から乱獲ゆえに魚の型が小さくなっているという声が聞かれるようになった。小アラル海で漁業に従事しているのは小アラル海冬季漁の様子(2013年1月)。ウズベキスタンカザフスタンクルグズスタンタジキスタントルクメニスタンアフガニスタンイランアラリスクコクアラル堤防旧バルサケルメス島A村アムダリヤ川シルダリヤ川大アラル海(2019)大アラル海(1960)小アラル海
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