FIELD PLUS No.23
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27FIELDPLUS 2020 01 no.23極めて20世紀的な環境破壊・開発災害 旧ソ連領、現在のカザフスタンとウズベキスタンの領土にまたがるアラル海は、ソ連時代の灌漑開発による過剰な水利用によって、かつては世界第4位を誇ったその表面積が10分の1程度にまで縮小し、4つから5つの水塊に分裂したことでよく知られている。その結果、アラル海での漁業は壊滅的な被害を受け、旧湖底からの塩分を含む砂塵嵐による住民への健康被害が生じるなど、アラル海周辺地域の社会・経済に甚大な被害をもたらした。アラル海とその流域で生じたことは、旧ソ連時代の社会主義的近代化の負の顛末であり、開発災害であり、極めて20世紀的な環境破壊だった。 ただし、21世紀に入り、アラル海そのものについては「消滅」ということばがメディアに踊るほどに縮小してしまった一方で、アラル海周辺地域の社会・経済・環境については、カザフスタン、ウズベキスタン両政府共にゴールを見据えていると言ってよい。カザフスタン領では、小アラル海及びそこでの漁業の維持、大アラル海についてはできる範囲での水塊の維持と沙漠の緑化が焦点となっている。ウズベキスタン領では、被災地域に住む住民の健康維持のためのインフラ整備(水道など)や地域の社会・経済発展に焦点があてられる一方で、大アラル海の旧湖底で炭化水素(主に天然ガス)資源の開発が行われている。資源開発用の機材運搬のために道路インフラが整備され、それがアラル海縮小の現場を観るといういわば「ダークツーリズム」のための観光インフラにもなっている。アラル海の縮小とそれに伴う社会・経済・健康上の危機を開発災害と捉えるならば、そこからのいわゆる復興プロセスはもう終わりつつあると言ってもよい。今や、沙漠化という現実と向き合いつつ、地域社会や経済のエコロジカルな意味での持続可能性が問われているのだ。モスクワから京都経由でアラル海へ 筆者の専門は何かと問われると、まずソ連史、その後に中央アジア地域研究と答える。元々は旧ソ連領中央アジアの民族問題や民族政策、中央=地方関係について研究していた。アラル海研究についても、最初はアーカイブ(公文書)や新聞・雑誌史料に基づくソ連時代のアラル海流域の灌漑開発史から研究を始めた。2006年から07年にかけてのモスクワ留学中のことである。  その後、筆者がアラル海の現場にたどり着く上で不可欠だったのが、京都にある総合地球環境学研究所で行われた「民族/国家の交錯と生業変化を軸とした環境史の解明:中央ユーラシア半乾燥域の変遷」、通称「イリプロジェクト」(2007~11年度)である。そこでは、環境や開発をめぐる歴史を考える際、自然科学と人文科学の知見の双方を一次資料として突き合わせて考える旧バルサケルメス島からの旧湖底の眺望。沙漠化と船の墓場(ニコライ・アラディン撮影)。中央アジア・アラル海の縮小と環境破壊は、そのビジュアル的な分かり易さから日本でもよく知られています。では、環境破壊の現場に住み続けている人々の社会はどのように変容してきたのでしょうか?写真と現地フィールドワークの結果から紐解いてみましょう。フロンティア環境破壊の歴史と今を追う中央アジア・アラル海地域の社会変容と持続可能性地田徹朗 ちだ てつろう / 名古屋外国語大学 

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