21FIELDPLUS 2020 01 no.23ともない(写真6)。「雨」を測る その草をもたらしてくれるのが「雨」である。この内モンゴル留学をおえて日本に戻って間もない頃のことである。雨が3日ほど降り続いていただろうか。しとしとと降る雨を眺めながら、「どうしてこんなに雨が降るのだろう」と家の中でふと考えた。そこでハッとした。「そうだ。ここは日本だったのだ」。日本では雨が降るなんてことはよくあることで、あんまり降るとうっとうしいくらいにしか思わない。だが、モンゴルではめったに雨が降らない。だから、とても重要で貴重だ。とくにわたしが滞在していた2000年から2001年はモンゴル高原全体が干ばつにみまわれた年だった。だから、モンゴルの牧畜民たちはちょうど草が成長しはじめる5月から来る日も来る日も南の空を見上げて、雨が降るのを待っていた。全く降らないわけではないのだが、ぱらぱら降って、すぐにやんでしまう。雨もそれなりの量が降ってくれないと草の生長には役に立たない。そのため、雨が降ると、必ず地面を軽く指で掘って、どれくらいの深さまでぬれているのか確かめていた。そう、雨の量は地表面から土がぬれた深さで測られる。その深さを表現するのが身体を使った単位である。たとえば、指の横幅をホローと呼ぶ。その横幅4本分の長さが4ホローとなるように、だ。 めったに雨が降らないからこそ、よく降ったときのことを鮮明に覚えている。エチナ旗の北東部で50代以上のモンゴル牧畜民が集まっているときに、雨がこれまでどれくらい降ったかをたずねたときのことである。みな口々にこの身体を使った単位で、何年に雨がどれくらい降ったかを教えてくれた。雨がきわめて多かったと認識されていた年はわずか3回だけだったが、実際の降水量のデータと見事に一致していた。なかでも一番多かったのが1969年で、デリムほどになったという。デリムとは両手を広げた長さの半分の長さである(写真7)。この地域の年平均降水量はわずか39mmであるが、この年はその2.6倍の103mmもあった。雨が貴重だからこそ、雨が多かった年は記憶に刻み込まれているのである。家畜の重要性 雨がなぜ重要であるかというと、先述したように、それは草、つまり、家畜のえさをもたらすからである。モンゴル牧畜民にとって家畜とはウマ、ウシ、ラクダ、ヒツジとヤギである。それ以外は「家畜」のカテゴリーには入らない。これら5種の動物はみな草食動物である。言い換えれば、人間が食することができない、直接利用できない「雑草」を食べてくれるのが家畜である。家畜が「雑草」を食べて、良質のたんぱく質である肉とミルクを生産し、騎乗、運搬といったエネルギーをもたらしてくれる。フンは重要な燃料源である。毛と皮革は天幕家屋をはじめとするさまざまな生活道具の原料になるだけでなく、重要な収入源である。しかも、家畜は不動産である土地とは違い、動産で、「動く」し、「殖える」。*写真はすべて筆者撮影。写真1 オルドス地域ウーシン旗の定住牧畜民。ラバの荷車で羊毛を街に販売に行くところ。(2001年7月)写真2 礫ゴビ砂漠に暮らす牧畜民。ラクダとヤギへの水やり。(2003年9月)写真3 エチナ旗のオアシスに暮らす牧畜民。ロバでヤギの放牧。(2003年9月)
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