FIELD PLUS No.23
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16FIELDPLUS 2020 01 no.23フィリピン共和国マニラフィールドノートに記録していくのだ。 たとえば、かなり前だが、2005年ぐらいからはやった言葉に chorva という語がある。これは、英語の whatever や whatchamacallit のような表現に対応し、言葉にしがたいものや、言葉にしたくないもの、思い出せないもののかわりに使用する。たとえば、 May chorva na siya. 「彼にはもうチョルバがいる (ある)」という文のように、パートナーや友だちなど何がいるのか、あるいは何があるのかを具体的に明示することなく、ほのめかしつつ表現することができる。タガログ語の流行言葉の多くがそうであるように、この語ももともとはゲイの人たちが内輪でいわば符牒的に使用していたものが、広く一般に使われるようになったものである。 しかし、このような流行言葉なら、どこの国のどの言語にでもあるありふれた話である。タガログ語が他の言語と変わっていておもしろいのは、この「はやりことば」に特徴的な仕組み、ルール、つまり「文法」があるということだ。タガログ語の「はやりことば」を使いこなすには何を知っておけばいいのだろう?「はやりことば」のしくみ タガログ語の「はやりことば」の作り方にはいくつかのパターンがある。たとえば、既存の単語を別の意味で使ったり、タガログ語以外の言語から単語を借用したり、既存の単語を組み合わせて複合語を作ったり、さまざまだ。そんななかで、わたしが一番好きなのはbaligtad「さかさま」という方法だ。まずは次の単語を観察してみよう。左がもともとの単語で、右が流行言葉として使われた言葉だ。南の「はやりことば」 日本から太平洋を隔てて南に3千キロほど行ったところにフィリピンの島々はある。灼熱の太陽とうだるような熱気と、ときには厚い雨雲とスコールに覆われた島々には1億人ほどの人々が生活している。その首都がマニラであり、そこには、やさしくておしゃべりで、にぎやかで、食べることの大好きな人々が、狭い土地にひしめき合うように住んでいる。わたしの研究するタガログ語はそんなところで話されている。 どこの国のどこの人々もそうであるように、フィリピンの人たちも流行に敏感であり、新しい言葉をどこからか作り出しては、みんなでよってたかって使って、ついには使わなくなってしまう。書き言葉ではなく、フィリピン人が自然に話すタガログ語の文法を研究するわたしはその収集に余念がない。マニラを訪れるたびに新しい表現を収集するようにしている。フィリピン人と会話したり、現地のテレビを視聴したり、あるいはバスや電車で移動しているときに、偶然聞く自分の知らない単語を salamat → tamalas「ありがとう」 sabog → gobas「酩酊した」 bro → orb「男友だち」 idol「アイドル」 → lodi「すごい」 これはちょっと観察すればすぐにわかるように、単語を逆から読んでいっただけ。意味が変わる場合もあれば、あまり変わらない場合もある。この造語法でもっとも有名なのはpare「友だち」から作ったerapで、有名な俳優でフィリピンの大統領にもなったジョセフ・エストラダのニックネームである。 別のパターンはこちら。どんなパターンなのか観察してみてほしい。こちらはちょっと難しい。 mater → ermat「母」 pater → erpat「父」 tigas「硬い」 → astig「かっこいい」 malupit「冷酷だ」 → petmalu「すごい」 このパターンでは、もとの単語をまず2つに分けてから、それをひっくり返している。たとえば、ermatの場合、materをmatとerに分けてから、erをmatの前にもってきて、ermatにしている。なかなか高度な技で、あらかじめ知っておかないと何のことだかさっぱりわからない。 このように、タガログ語は既存の単語をひっくり返して流行言葉を作り出す。日本語にもある種の業界用語として、「ギロッポン」「ザギンでシースー」「リソツ」のようなものがあるらしいが、こちらは一般の人が使うようなものではない。一方でフィリピンでは、単語によって程度の差こそあれ、このような逆さ言葉は広く一般に使われている。しかも、逆さ言葉による語形成は一時的な流行ではなく、この方法によって何度も新しい流行言葉が生み出されている。tamalasは1950年代の言語学の論文で既に報告されているが、lodiは2017年ごろの流行言葉だ。この流行言葉の文法は世代を超えて継承され、今日もタガログ語に新しい言葉を加えている。子どもだけの「はやりことば」 タガログ語の「はやりことば」には小学生のような子どもだけしか使わないものもある。子どものはやりものはやりことばの文法毎年毎月のように作り出されては忘れ去られていく「はやりことば」。フィリピンで話されるタガログ語の「はやりことば」には「はやりことば」にしかない文法がある。長屋尚典 ながや なおのり / 東京大学、AA研共同研究員*写真はすべて筆者撮影。自然会話の録音の様子。こうやって自然会話のデータを集めている。

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