12FIELDPLUS 2020 01 no.23挨拶をまじわす単なる技術的な支援と思って始めた辞書作りが、大勢のアルバイトを指揮して内容にもかかわる監修をするという全面的なコミットメントへと変わった瞬間。手書きの原稿 「挨拶をまじわす」と言われても何のことか解らないだろう。日本語教師でもなければ「挨拶を交わす」がそう読まれてしまうということに滅多に気づくまい。下の写真に示す「omajivaasu」を見つけたのが、『日本語マラヤーラム語辞典』(ケーララ州言語研究所、 2019年刊)の編集における「あの時」である。 本辞典の著者となるナンビアール氏が、マラヤーラム語を公用語とする南インドのケーララ州の歴史の専門家である東京外国語大学の粟屋利江助教授(当時)の紹介の元に私の研究室を訪ねてきたのは2004年6月のことであった。氏に見せられたものは分厚い手書きの原稿の束であった。1960年代に日本に留学して水産学を学んだ氏が定年後に一念発起して始めたのが日本語マラヤーラム語辞典を作るということだったのだ。その際、氏が基にしていたのは、Vaccari’s Concise English-Japanese Japanese-English Dictionaryという辞書で、その約4000語を基本に旺文社『ベスタ和英辞典』から1万語余りを追加して語数を増やしていた。しかしどちらの辞書も古いもので、語彙はとても古めかしく、とても現代の使用に耐えないものと感じられた。 『日本語・カンボジア語辞典』(めこん)を出しているAA研の峰岸真琴教授に相談したところ、三省堂の『デイリーコンサイス和英辞典』のデータの使用許可が得られるであろうからそれを使うことを提案された。こうして、ナンビアールさんとしては、日本語とマラヤーラム語の混植印刷という技術的問題の解決を依頼しにきたところが、全面的に新しいものを、しかも4倍以上の語彙数のものを作るという話になってしまったのである。10年以上にわたって「船を編む」 さて、いずれにせよマラヤーラム文字のコンピュータ入力ができないナンビアールさんが相変わらず手書きのままで新しい辞書のマラヤーラム語部分を準備するなかで、こちらとしてはマラヤーラム文字のデータ処理やTEXによる印刷の準備も行い、三省堂から許可を得て『デイリーコンサイス和英辞典』[第6版]のExcelデータをいただいた。さらに手書きの草稿を現地のデータ入力会社が入稿するための枠組みの準備なども面倒なものであった。 こうした準備を経てケーララで入力が行なわれ、最初のデータをナンビアールさんが意気揚々と送ってきた。それを処理し、PDFにしてパラパラと眺めたその時こそが、はじめに述べた瞬間である。「挨拶をかわす」レベルの読みが出来ていないということは、全体でどのくらいの誤りがあるか想像もできないほどということになる。一瞬すべてをなしに、ということも考えたが、せっかくの努力を生かすためにはなんとかするしかない、と考え直した。誤りを発見して修正するよりはゼロから入力する方が結局労力が少ない。また例文における「は」「へ」の音価の機械処理も完全とは考えられないので、かな部分まで含めてローマ字化を日本人の手で行なう以外にないと決断した。さいわいAA研の情報資源利用研究センターに電子辞書プロジェクトとして申請し認められたことで、多数の学生アルバイトによる読みローマ字の入力をまず2年かけて行なった。また、日本語部分に対して、マラヤーラム語データを別途入力したものを結合させるという方式で行なわざるを得なかったためにデータの不整合部分の校正についてもさらに3年以上の作業を続ける必要が生じた。結局、様々な校正作業が追加されて、出版可能なレベルのものとなったのが依頼から11年後の2015年であった。日本人のマラヤーラム語学習のために これだけの努力を踏まえたものであるのでインド・ドラヴィダ言語学会からヘルマン・グンデルト博士基金賞を受賞という結果が伴ったことはおめでたい。しかし、今回インドで出版したものはケーララの人々が日本語を学ぶために作られているので、日本人の学習者のために作り変えた電子版を2020年3月までに刊行し、そこにAA研の「文法便覧」シリーズの「マラヤーラム語」も再録し、日本人がマラヤーラム語を学ぶ手助けとするつもりである。 高島 淳たかしま じゅん / AA研『日本語マラヤーラム語辞典』手書きの草稿(2004年のものではない)の全貌。2004年から2年間で1995ページに達した。出版記念会。右から2人目が高島、左へ順に、ナンビアール氏、ケーララ州文化大臣、駐印日本国公使。ケーララ歴史協会の受賞祝賀の会でのナンビアール氏夫妻。omajivaasuスリランカインドケーララ州
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