FIELD PLUS No.23
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11FIELDPLUS 2020 01 no.23 しかし問題もある。聖者廟が墓地以外(たとえば町中のモスクの隣や個人所有の敷地)に建っている可能性もあるし、ドームがない廟もある。それらは現地調査で人々に廟について聞いて回らないと「発見」するのは難しいだろう。そのほか、大きな見落としがある可能性も否定できない。現地調査と衛星画像の補完関係 インターネット上で入手可能な衛星画像を用いた調査は、上記の問題をはらみつつも有用だと考える。そしてハドラマウトの状況が落ち着き、再び訪問することができるようになっても重要であり続けるだろう。なぜならハドラマウトの中にある小さなワーディー全てを限られた時間で訪問することは実質的に不可能だからである。外国人にハドラマウトの門戸が開かれていた時期に私が調査し得たのも、沿岸部の町や、内陸部で人口が集中しているワーディー・ハドラマウトほか大きなワーディーだけであった。小さなワーディーや村を訪れることは、特定の人物を訪ねる等、具体的な目的がない限り現地の人々に警戒され、廟を探すという目的が理解されることはないだろう。イエメン政府との共同調査を立ち上げるという可能性もあるが、期間、資金等の制約によって限度はあるだろう。 また、聖者廟は単に過去の遺産として存在しているわけではなく、現在の政治状況とも結びついている、いわば「生きた」存在である。沿岸部の町、ガイル・バーワズィールの墓地を写した2枚の写真(写真4、5)を比べてみてほしい。2016年の間に聖者廟がきれいさっぱりなくなっていることが分かる。これはアラビア半島のアルカーイダ(AQAP)が2015~16年に沿岸部を征服・統治していた時に廟が破壊されたことを示している。これも現地調査で状況を追うことは困難だろう。聖者廟の変遷を見られることも衛星画像による調査の利点である。を試みていたが、その時は画像だけで聖者廟かどうかを特定するのは困難で、実際に存在を確認した廟の場所を特定するだけだった。しかし、それ以後に撮影された衛星画像では聖者廟が廟らしく、具体的に言えば廟のドーム型の屋根が写っている(写真1、2参照)。そこで上から見ただけでどの程度の廟の存在が確認できるのか調べてみた。その結果、現時点で聖者廟と思われる構造物がハドラマウトに260程度存在することが分かった(写真3参照)。これを見ると、私が調査時に想像していた以上に聖者廟を建てる文化が沿岸部、内陸部のワーディーの隅々にまで広がっていることが分かる。 衛星画像から聖者廟を探すことを通じて、全地域的な分布以外にも様々なことが分かった。まず、廟と思われる構造物の多くは墓地の中央に位置していることである。聖者信仰が盛んな地域は聖者の近くに埋葬されることを求める人々がいるため、これは当然といえば当然であろう。ムスリムの墓地は被埋葬者を覆う土饅頭が密集しているので衛星画像では比較的見つけやすい。だから廟を探す際にはまず墓地を見つけ、その後墓地に廟があるかどうかを調べるのが効率的である。聖者廟かどうか画像でははっきりしない場合、人々がネット上に投稿している写真を検索する。ハドラマウトの小さなワーディーでもスマートフォンを持ち、自分の故郷の写真をアップロードしている人々が大勢いる(余談ではあるが、こういった写真の中では降雨、小川、滝など水関係の写真が目立つのは面白い。乾燥地ならではの傾向だろう)。聖者廟は地域のシンボルのひとつだから、大きな廟ならば写真や動画が見つかる可能性は高い。場合によっては撮影者と直接メッセージを交わすことも可能だろう。人々がフラットに発信できる時代における新たな「調査」の可能性がここにあるのではないか。「現地感覚」の重要性 以上、ハドラマウトにおける聖者信仰の実際というよりは、聖者廟の分布を現地に行かずにどのように把握するのかを述べた。ハドラマウトが再び外国人に門戸を開いた1990年代以降は、インターネット環境が整備された時代と重なる。ハドラマウトでは様々な調査が行われ、情報が蓄積され、住民が撮影した写真や著作物がネット空間に投稿された。以前であれば、現地を訪れ、情報を得たことそのものが業績とみなされた地域も、単なるファクト・ファインディングのレベルから一歩進んだ研究が必要となろう。また実際に訪れることが困難な地域であっても情報収集の可能性が高まり、以前とは異なるアプローチの調査が可能になった。 それでは、今後世界のどの地域でも、誰もが同様のアプローチで調査することが可能になるのだろうか。私はそうは考えていない。たとえインターネットを利用して誰にでも観察可能だったとしても、そこから何かしら意味のある情報を引き出すためには現地に行った経験が必要になるだろう。私のインターネット上での情報収集を可能にしているのは、2000年代における私の現地経験で得た知見である。インターネットの時代になって、改めて「現地感覚」の重要性を実感している次第である。 写真3 ハドラマウトにおける聖者廟の分布。260程度確認できる。Google My Map で作成(衛星画像)。写真4 ガイル・バーワズィールの墓地、2016年1月。墓地の中に聖者廟が存在している。写真5 ガイル・バーワズィールの墓地、2016年11月。アルカーイダに破壊され、聖者廟があった場所が更地になっている。

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