10FIELDPLUS 2020 01 no.23て徐々に治安が悪化し、現在はイエメン共和国が内戦状態となったため、私も久しくこの地を訪れていない。 この地方の特徴のひとつはアラビア半島の中でも特に聖者信仰が盛んな地域だということである。歴史的には、この地の聖者信仰は単に願掛けを行ったり聖者祭を開催したりするだけではなく、強力な中央政府の影響が届かない地域の治安を安定させるための装置として機能していた。具体的には、人々に聖者とみなされる人物やその子孫が、死後も残るとされる聖者の超自然的な力を背景に、部族間の争いを仲裁したり、市街地を聖域に指定して定住民が安全に暮らせるようにしたりしてきた。聖者廟は聖者の存在をコミュニティ内外に可視化したもので、実際この地を訪れた人は数多くの聖者廟を目にすることになる。現在の聖者信仰の役割はもっぱら宗教的なものだが、ハドラマウト出身移民によって聖者信仰がインド洋を隔てたジャワまでもたらされているのは興味深い(それについてはほかの場所で改めて議論したい)。 それではハドラマウト全体ではいくつのハドラマウトの状況と聖者廟 南アラビアのハドラマウト地方は近代以降、時期によって外部からの訪問が容易になったり困難になったりしてきた。19世紀末からの英国保護領時代にはオランダ人や英国人などのヨーロッパ人をはじめとする外国人がハドラマウトを訪れたが、英国からの独立後、社会主義体制下にあった南イエメン領の時代(1967–90年)には少数の例外(たとえばソ連の学術調査団など)を除いて外国人が訪問するのは困難となった。しかし1990年の南北イエメン統一で再び外国人にも門戸が開かれ、様々な研究者が現地調査・史料収集を行った。私も1996年から2009年まで断続的にこの地を調査した。残念ながら2010年代に入っ聖者廟があるのだろうか。私の現地調査では120程度の廟が確認できたが、それは沿岸部の主要な町、内陸部の主要なワーディー(涸かれ谷。内陸部の人々は谷底に集中して住んでいる)だけの話である。小さなワーディーでも廟は存在しているだろうし、上述の地域で見逃した廟も多くあるだろう。しかし現状では補足調査は大変難しく、私ができる作業はこれまで集めたデータをまとめることくらいである。しかし10年近くのブランクは大きい。聖者廟の情報をまとめる作業はいつしか止まり、私の興味はハドラマウト出身移民が東南アジア、ジャワにもたらした聖者信仰に移っていった。衛星画像から聖者廟分布の全体像をつかむ 最近私が気づいたのは、2000年代中頃以降のグーグルアース(Google Earth)ほか、インターネット上に掲載されている衛星画像のクオリティ向上である。私が実際にハドラマウトを訪れていた時期にもグーグルアースを利用して聖者廟の場所の特定最近のインターネット環境の整備にともなって、治安悪化により訪問が困難な地域の情報を日本にいながら得ることも可能になった。ハドラマウト地方(イエメン共和国)を例に、ネットを用いた情報収集について述べる。新井和広 あらい かずひろ / 慶應義塾大学、AA研共同研究員写真1 ハドラマウト地方ジャドフィラ村の廟(2007年1月22日、筆者撮影)。選挙ポスターが貼ってあるのが面白い。写真2 ジャドフィラ村の廟、2010年。ドームの形が分かる。衛星画像を用いた聖者信仰研究訪れることが困難な地域をどう「調査する」か?ハドラマウト地方ペルシャ湾アラビア海紅海イエメン
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