FIELD PLUS No.22
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マイクロ彫刻で彫られたディズニーのキャラクター、グーフィー。一階展示室の様子。奥は「角」展示。ある女性に生えた角状の毛髪標本が、ヘラジカや羚羊の角とともに並べられている。あやとりの技術展。実物の他に、解説書のページを開いた上にホログラムのあやとり風景を投影している。「完全なる動物たちの人生」の展示風景。夜尿症に効くネズミトースト。31FIELDPLUS 2019 07 no.22近代のミュージアムは、国民国家の成立に伴ってそれぞれが「私たちの歴史」を描くために整備されてきたという由来を持つ。つまり、貴重な宝物や珍しい物、また優れた科学技術を一箇所に集めて残し、国の豊かな文化や厚い歴史を示すことによって、他国に威厳を誇示する手段としたのである。ミュージアムは本来的に、歴史を記憶し後世に伝える装置なのである。 一見奇妙なミュージアムも「歴史の記憶」と思って見ると一味違う気持ちで楽しむことができる。MJTは、珍奇な逸話や迷信、民間信仰、神話、古臭くなった科学理論を「歴史」として後世に伝える。これらは、普通は「誰も気にしない些細な噂話」「過去には一般に真実と信じられていた事象」または「最新の科学的見地からは誤りのある理論」などで、いわゆる歴史博物館や科学博物館では光を当てられることも保存されることもない。つまり、このミュージアムでは、放っておくと誰にも知られないで埋もれてしまう、狂気や博覧強記といった、ある種の異彩を放つ知識が「記憶」されているのである。 歴史を語るということは、後世に残すことである。ミュージアムで歴史が残る。「歴史の記憶」という観点でミュージアムを見渡してみると面白い。何が残り、何が失われるのかを観察する事ができる。社会や人々の関心も見えてくる。例えば、アメリカでは、ハリケーン・カトリーナという2005年に起きた未曾有の大災害は、誰もが忘れ得ない歴史として語り継がれている。当地ニューオーリンズはもとより、全国のミュージアムで、被害者の本名、家族構成、市井の人々の証言や最期の様子などといった、被害者に関する生々しい情報の数々が驚くほど事細かに公衆に展示されている。社会で記憶を共有することでトラウマを乗り越えることに主眼が置かれているのである。一方、日本の災害展示では、物議を醸すおそれのある事象については被害者・遺族感情に配慮をして、積極的には見せない選択がなされることが多い。災害についてのミュージアムの語り・記憶を通して、社会が災害をどう見ているのか、また、「見せること」や「知ること」をどのような行為だと捉えているのかがわかるのである。このような視点でミュージアムを見て、社会を理解するのが、「ミュージアム研究」の醍醐味である。アートとしてのミュージアム 最後に一つ種明かしをしよう(ネタバレ注意)。実は、展示物の中に館長がねつ造した展示物が紛れているのだ。敢えてその展示の名は明かさないが、ミュージアムショップでその展示について出版した書籍を販売までする徹底ぶりだ。つまり、「なさそうではあるが本当にあった」歴史のなかに、偽の歴史を紛れ込ませ、それによって、「正しい歴史と誤った歴史、残る歴史と残らない歴史は誰がどう決めているのか?」と問いかける仕掛けが隠されているのである。ウィルソン氏は、美術大学で学び、映画制作の現場を経験しつつ温めたアイデアをミュージアムで実現した。一種のトリックを仕掛けるアーティストとして、目にも脳にも愉しいこのミュージアムを創ったのである。

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