FIELD PLUS No.22
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29FIELDPLUS 2019 07 no.22これには肩すかしを食らった。しかし、これは、デルタ地域が、19世紀における通年灌漑への移行をいち早く経験した地域であり、その後、鉄道が敷設されるなどして、大きく土地が改変されたことの証左であろう。私の土手探しの旅は、またも近代化による断絶に阻まれてしまったのである。他方、カイロ以南の上エジプト地域は20世紀に入ってからもベイスン灌漑が保たれた地域が多く残され、デルタでは見つけることができなかった土手の痕跡を見つけることができたのであった。かくして、歴史のダイナミズムも断絶も、すべてが刻まれたエジプトの土地に、私はすっかり魅了されてしまった。 空間を歴史的に分析する 現在、私が注目しているのは、先にも述べたファイユーム盆地である。香川県ほどの面積を持つこの盆地は、ナイルから20キロほど離れたところに位置するが、ナイル上流から分枝するユースフ運河(ユースフはヨセフのアラビア語での発音。伝説で、ヤコブの子であるヨセフが掘ったとされることからこのように呼ばれている)によってナイルの水が盆地に流れ込み、村々を潤して、最後はカールーン湖に行き着く。その運河の名が示しているように、この盆地の歴史も古い。盆地とその背後の砂漠の境界には、盆地を取り囲むようにして古代王朝期からギリシア・ローマ期の遺跡が分布している。 この盆地は、ユースフ運河から分枝する大小の水路によって灌漑されてきた。盆地の入り口には堅牢な堰や水門が設置され、一定量の水が盆地内部に流入し、留まるようになっていた(画像5)。こうした水利設備は、この盆地の開拓が進んだ前3世紀以降、整備されていったと見られる。つまり、ファイユーム盆地は、近代よりももっと以前に通年灌漑に移行していた地域であり、それゆえに、近代化の波を大きく受けなかったと考えられるのである。 私は、この盆地を「実験箱」に見立てて、この小さな空間で起こる変化が一体何に起因するものなのかについて考察することにした。例を一つあげよう。この盆地では、13世紀にサトウキビ栽培(夏作)が盛んに行われていたが、16世紀にはサトウキビ栽培は北東部の一部地域のみに見られるだけになり、他の地域では、小麦や大麦(冬作)などの穀物の栽培が主流となった。このような変化はなぜ起きたのだろうか。その背景には、16世紀に顕著となった寒冷化の影響、ヨーロッパ諸国によるサトウキビ栽培の拡大といったグローバルな要因や、地質の低下や水資源の減少といったローカルな要因など、様々な要因が考えられる。 しかし、最近、考察を進める中で、この実験箱の中で起こる変化は、グローバルな要因とは無縁ではないかもしれないが、ローカルな要因の方がより直接的かつ決定的であろうと考えはじめている。そこで、この空間をよりミクロな視点で見てみることにしたのである。現在、そのとっかかりとして、20世紀前半の地図と現在の衛星データから、この空間の地形を立体的に把握して、空間内部の地形的特徴を探る作業と、歴史記録のデータベース化を進めている(画像6)。同時に、それらの情報をもって、現地をめぐり、「現場感覚」を鍛えている。その土地を実際に歩いてみることで、そこに刻まれた歴史に気づくことがあるかもしれないと期待しながら。 画像5 ファイユーム盆地の入り口に設置された水門:現存する水門は13世紀のマムルーク朝スルターン・バイバルスによって建造されたものと言われている。(筆者撮影)画像6 ファイユーム盆地の標高図:共同研究者の佐藤将氏が作成した標高値によって色分けをした図。空間を立体的に分析するのに役立つ。

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