26FIELDPLUS 2019 07 no.22く関係にみえる。しかし、なぜか貸し手である農家の方が、借り手の労働者に対して負い目を感じている様子をみせることがある。調査を進めていくうちに、帳簿の数字から読み取れる彼らの関係と、フィールドワークからみえてくる彼らの様子に齟齬がみられることが分かってきた。帳簿からみえないことと、帳簿の役割 帳簿上の数字にとらわれてしまうとみえなくなることがある。当初、わたしは、詳細に記入された帳簿をみて、農家が貨幣価値による等価交換を重視しているものだと思い込んでいた。しかし、実は、農家にとって大切なのは負債の回収ではなく、チャ摘みの労働力を確保することであった。彼らは、労働者に頼らなければ、チャ摘みを行うことができない。そのため、労働者の負債がかさんでいても、チャ摘みに来ている限りはそれを注意することはなく、新たな「支援」を断ることもない。「労働者が出稼ぎで大金を手にしたらしい」という噂を耳にしても、取り立てを行うことはない。必要なのは現金ではなく、労働力なのである。 では、農家は、なぜ詳細な帳簿をつけているのだろうか。実は、帳簿は、農家と労働者の関係性を可視化させ、長期的な関係の継続を動機づける重要な役割を果たしている。いつもお世話になっていた農家のMさんは5世帯の労働者を「支援」していたが、そのうち3世帯とは30年以上前からこの関係を続けている。日々「支援」している物品とその値段を帳簿に記入することは、意図しているか否かにかかわらず、労働者が農家に負っているものを目にみえるかたちで示すことになる。労働者は、農家から「支援」してもらっているという負い目を感じるからこそ、農家に労働力を提供しつづけるのである。逆に、帳簿をつけない労働交換では、短期間のうちに借りを返し、等価交換を成立させることが重視されている。 ところで、例外的に農家が、負債の取り立てを行うことがある。それは、労働者が負債を残したままチャ摘みに来なくなってしまったとき、すなわち、信用貸しの関係を解消するときである。このとき、はじめて帳簿上の金額が意味をもつ。 また、労働交換と信用貸しという、労働力の価値を算出する方法が2つあるという点に着目すると、「支援」する側であるはずの農家が、労働者に対して負い目を感じる理由が理解できる。農家の助け合いである労働交換では、等価交換の基準は1日分の労働力である。生葉の取引価格や収穫量にかかわらず、1日分の労働力は等しく同じ価値をもつ。一方、信用貸しでは、労働者の報酬は、当日の生葉の価格と収穫量に基づいて決められるため、日々変動する。生葉の取引価格が低い日や、収穫量が少ない時期には、1日中チャ摘みをしても報酬はわずかにしかならない。労働交換では、1日分の労働力の価値が等しく同じとされるにもかかわらず、信用貸しでは、それが等価でないことが貨幣価値に数量化されることにより可視化されてしまう。そのため、農家は、労働者の報酬が極端に少なくなってしまう時期には労働者に負い目を感じ、報酬に心づけを上乗せしたりする。こうして、彼らは収穫に必要な労働者をつなぎとめようとしているのである。 このように、帳簿とフィールドを何度も往復しながら、帳簿上の数字からはみえてこない関係を読み解くのが、フィールドワークの面白さのひとつだろう。 夕方、かごいっぱいの生葉を背負って村へ戻る。農家は、収穫量を記入した領収書を、労働者に手渡す。負債帳簿には、品目と値段が詳細に書かれている。帳簿を確認する。フィールド ノート
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