FIELD PLUS No.22
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23FIELDPLUS 2019 07 no.22「多様性のなかの統一」の理想と現実 インドは、多様性に富んだ社会である。カースト、宗教、言語が異なるさまざまな人々が暮らす。「多様性のなかの統一」は、多様な人々の共生を目指すインド社会の理想を示す言葉としてしばしば用いられる。しかし、現実と理想の間には、当然ながら、隔たりがある。人々の差異や区別は、容易に差別へと転じる。差別は貧困、格差などのさらなる問題へと連なっていく。「多様性のなかの統一」を現実のものにするべく真摯な試みが繰り返されてきているが、途はまだ半ばというべきであろう。そんなインド社会を描いた文学作品は、現実の重さに比例するように、読み手にずっしりとのしかかってくるようなものが少なくない。日本語に翻訳されたものには、そうしたものが特に多いような印象がある。そうしたなかで、『マレナード物語』は社会性と娯楽性を兼ね備えた異色の作品と言えるかも知れない。 この中編小説は南インド・カルナータカ州の公用語であるカンナダ語で書かれた。著者は20世紀後半を代表するカンナダ語作家のひとりである。デカン高原西部を南北に走る西ガート山脈の豊かな自然を背景に、ミツバチと飛びトカゲというふたつの生き物がきっかけとなってたまたま巡り合った人間たちの関係が描かれている。邦題にある「マレナード」とは、西ガート山脈の丘陵地域を指すカンナダ語で、「山国」といった意味である。「違い」とともに生きる 小説に登場する人々はいずれも個性が際立っている。著者の分身と思われ、物語の語り手でもあるヒンドゥー教徒で上位カーストの「私」、作家業のかたわら農園を経営する「私」の家で働くイスラーム教徒の下男、グローバルな研究の世界で活躍するキリスト教徒の生物学者(本書の原題『カルヴァーロー』は彼の名前で、日本語では「カルヴァーリョ」とカナ表記されることがあるポルトガル系の苗字である)、定職につかずふらふらしているが、自然界の生き物を観察することにかけては人並み外れた能力を発揮する下位カーストの村の若者、最新機材を巧みに操る撮影の専門家、猟銃の腕前を誇りたがる料理人などなど、実にさまざまである。信仰する宗教が違い、また、同じヒンドゥー教徒であってもカーストが異なり、知識・教養の度合や職業、生き方もかけ離れた、まさに「住む世界が違う」人々である。 このように記すと、登場人物の設定が恣意的かつ類型的で、彼らが織りなす物語がつくりものめいたように見えるのではと思われてしまうかもしれない。しかし、さまざまな人間を巻き込みながら次々と起こる、地方社会にいかにもありそうな小事件が、テンポ良く軽妙に語られていくなかで、読者は自然と物語の世界に引き込まれていく。登場人物間に学識の格差やカースト・宗教の違いがあるために生まれる滑稽なやりとりや、そうした差異への際どい言及も、この小説の面白さであろう。人々の多様性が美化されることはないが、かといって、多様性が現実に惹き起こす大小さまざまな困難が過度に否定的に描かれているわけでもない。 小説の後半では、主な登場人物たちが一団となって、飛びトカゲという謎の古代生物を西ガート山脈の森で探索するようすが描かれる。飛びトカゲは、生物の進化、つまり、自然界の多様性をもたらした種の分化の謎を明らかにする可能性を秘めた存在とされている。広大な樹海の中で幻のように生きる飛びトカゲを探し求める彼らは、インド社会の多様性に向き合う人々の象徴なのかもしれない。彼らの姿は、西ガート山脈を照らす太陽のように明るく、また、彼らが追う飛びトカゲのように軽やかである。 太田信宏 おおた のぶひろ / AA研インドの近現代文学には、社会が抱える問題を正面から見据えた「真面目」で「深刻」な作品が目立つ。ここでは、社会性のある主題を扱いながら読み物としても楽しめる小説を紹介する。インドカルナータカ州K.P.プールナ・チャンドラ・テージャスウィ『マレナード物語』『マレナード物語現代インド文学選集4[カンナダ]』K.P.プールナ・チャンドラ・テージャスウィ 著井上恭子 訳(めこん、1994年)

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