22FIELDPLUS 2019 07 no.22トが頻繁に開かれないせいか、普段は他の日本の団地とあまり変わらない雰囲気です。一方、先日調査で訪問したオーストラリアのシドニーとメルボルンのベトナム人街は、ベトナム語の看板を掲げたベトナム料理店がずらっと立ち並び、店の中でも外でもベトナム語が飛び交い、まるで本国ベトナムさながらといった活気あふれる街の雰囲気でした。いちょう団地とオーストラリアのベトナム人街では何が違うのか―コミュニティの規模なのか、社会の仕組みなのか、政府の言語に関する政策なのか―といったことについて考えてみることも今後必要だと思っています。増えるベトナム人 日本には、2018年時点で、30万人近くのベトナム人が暮らしています。この20年で見れば、その数はなんと22倍に増えていることになります。 その中で、この読み物でご紹介した日本に住み続ける選択をした難民出身者は、最近急激に増えているベトナム人留学生や技能実習生と比べれば、数で言うとずっと少ないです。留学生や実習生は、滞在できるビザの関係上、留学や実習を終えた後はベトナムに帰国することが予想されます。今後は、日本にいる期間とことばを使う上での特徴の違いについても調査を行ってみたいと考えています。謝辞 調査の実施に快くご協力いただいている、市民団体・多文化まちづくり工房の関係者の皆様、そして早川秀樹代表に、この場を借りて感謝申し上げます。 のではないかと思います。結果的に、日本人スタッフとしても、ベトナム人の若者がベトナム語を無理やり教えさせられたり、学ばされたりしてベトナム語のことを嫌いになってしまうよりも、いつもの日本語教室の形に戻った方がよいのでは、という話になりました。この現実に研究者としてどう向き合うか 先日とある学会で、「いちょう団地ではベトナム語ではなく、主に日本語が話されている現状」について、「子どもの教育や就職の機会といった実益」の観点から説明を試みたのですが、発表後、聴衆から、「日本のベトナム人の若者は、ベトナムと日本という2つの確固としたアイデンティティを持っているはずで、ベトナムに対する懐かしさといったものが言語の使用にも影響しているのではないか」とか、「あなたは本当にフィールドに通っているのか。もっと事実を詳細に観察するように」といった手厳しいコメントをいただきました。 現実が(以前の私を含めた)研究者の理想と異なることは受け入れる他ないとしても、フィールドに通っていると、「私の研究は、一体何の役に立つのだろう」と考えることがあります。現時点で私ができることの一つとして、学会発表やこの原稿のような作文を通して、ボランティアによる支援だけでは立ち行かなくなってきているいちょう団地の今について多くの人々に知ってもらう、ということがあると思います。そして、子どもの教育の選択肢を増やすため、高校入試資格の緩和や、マイノリティの言語や文化を学ぶ機会の保障といった公的なサポートが必要なことを、草の根レベルで訴えていきたいと考えています。 いちょう団地は、毎年10月の第1土曜日と日曜日に開催されるいちょう団地まつり以外には、多国籍を感じるイベンネオンの色使いにベトナムの屋台の雰囲気が再現されている。ベトナム風バゲットサンド「バインミー」。試食コーナー。ベトナムのココナツのお菓子「バンイッユア」。ベトナムのもつ煮「ファーラウ」。多言語による防災指導(AEDの使い方など)。ベトナムの伝統衣装・アオザイを着て、菅笠を持って踊っている高校生。いちょう団地まつりのステージ。
元のページ ../index.html#24