FIELD PLUS No.22
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19FIELDPLUS 2019 07 no.22た。あっちはカニがたくさんいるけれど、一回目はそこまで行かなかった。ひざが震えて、心臓がどきどきした。行き着くことができた、二回目は。……そろそろと行ってお父さんが死んだ場所を見た。何か見えるか。(でも)何も見えなかった」。側にいた親族女性が「何か(超自然的なもの)が見えはしない。(もし見えたとしたら)それは自分の心のせいだ」と言った。 この会話からしばらくして、彼女はこのマングローブ林の漁場にもどってカニの罠を仕掛け始めた。父の死から一年が経過した2003年には、これまで見るのがつらいからと戸棚にしまっていた写真が、部屋に飾られていた。「この頃は、心をコントロールすることができるようになった」とチェーオは言った。彼女は運命に抗するというよりも、受け流しつつそれでも前に進もうとしていた。息子ベンへと繋がる想い その後、チェーオは夫婦共に中部タイのエビの養殖会社が村に新たに作った養殖池の管理をする仕事をみつけ、少し生活も安定して一人息子のベンを専門学校に進学させることができた。 2018年8月、村を訪問すると、ベンが結婚するという。私が村を出発する翌日が結婚式だ。持ち合わせていた日本からのささやかなプレゼントを渡すと、ベンはダンボール紙と木切れで作った見事なタイ式家屋の模型をくれた。ナーチュイに似たのか、小さい頃から手先が器用なベンが何ヶ月もかかって作ったものだという。壊さないように苦労して日本に持ち帰ったが、この見事な工芸品を前に、チェーオからベンへと繋がる想いを受け取った気がした。 30年前にチェーオと多くの時間を共有し、その後断続的ではあるが、チェーオの人生の変遷に触れつつ現在に至る。ある意味で、つかず離れず、チェーオと私は互いの生を交差させつつ年を重ねている。互いに独身でまだ家族をもっていなかった頃から、結婚し、子供ができてと、それぞれの状況も変化してきた。やがては別れがくることも必然だろう。 チェーオとは、日本にいて日常的に連絡をとることはない。しかし、たとえ短期の滞在でも村に行くと必ずチェーオとは会い、互いの状況を伝え合う。お菓子作りが得意なチェーオは、いつも私が食べたいものを尋ねて作ってもってきてくれる。 チェーオからベンへ、親から子へと、その想いが繋がっていくことは奇蹟的なことだと感じる。このことを奇蹟的だと感じるようになったのは、じつはもう一人の友人アニックとのことがあったからだ。もう一人の「友だち」から、 繋がる想いについて考える アニックは私と同い年のフランス人で、互いに17歳の高校生の頃から文通しており、一度私が結婚して間もなくフランスに旅行したときに、夫婦で休暇をとって一緒に城めぐりにつれていってくれた。いつかお礼に日本を案内したいと思いつつも、それ以来会うこともなく、やがて交流が間遠にはなっていったが、毎年誕生日カードとクリスマスカードの交換は欠かさず行っていた。アニックの筆跡はとても美しく、郵便受けに手紙が入っていると表書きですぐにわかった。ある年に癌になって治療中だという乱れた字の短い手紙がきた。そして今から2年前、フランスから受け取ったのは、アニックとよく似た、しかし少し異なる筆跡の手紙だった。それは、アニックの息子からのアニックの死を知らせる手紙だった。そこにはアニックの死の様子が記され、アニックから日本の友だちのことをよく聞かされていたとあった。いつかアニックたちを日本へ招待したいと思っていたことはかなわなかったけれど、それは息子の代で実現するかもしれない。 人と人の関係は永遠に同じではありえない。人と人を繋ぐ想いが、親から子へと伝わることは、人の生が移り変わり、別れがあることに思い至らせ、生のはかなさや哀しさを感じさせる。それゆえにこそ、そうした繋がりは愛おしく貴重なものとなるのではないだろうか。チェーオもアニックも、遠いところにいて日常的に会うことは難しいけれど、いつもどこかで私の生と交差しており、私にとっては大切な「友だち」である。 ダンボール紙と木切れで作った見事なタイ式家屋の模型。左の皿の中は結婚式用にチェーオたちが作ったカオニョウ・ケオ(もち米とココナッツミルクと砂糖を長時間かけて火にかけ、一口サイズの塊に分けてカラフルな紙で包んだ結婚式用の定番の菓子)(2018年)。翌日に結婚式を控えたベンと新妻になる女性。手に自らが作った模型の家をもつ(2018年)。家の前でくつろぐチェーオ(入口右)と母親(入口すぐ左)たち(2018年)。バケツの中の、チェーオが獲ったカニ(2004年)。*写真はすべて筆者撮影。

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