FIELD PLUS No.22
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16FIELDPLUS 2019 07 no.22示を出し始めたのだった。私が呆気にとられているあいだに、煌きらびやかな装いの中年女性は私の手を引き、大音量の中心地へといざなっていく。色とりどりの服をまとった老若男女が煌びやかなホールの中心で踊り狂うなか、その向こう側に白いドレスを着た若い女性とタキシード姿の若い男性の姿を見た。そう、それは、まさに結婚式が行われている最中の会場だったのだ。やがて大音量のビートがやんでしんと静まると、司会の声が高らかにこう告げる。「今日ははるばる遠く日本からも新郎親族のお友だち4444がいらしています!」 私はウズベキスタンに暮らすタタール人のことばを研究している。タタール人は、マジョリティ民族であるウズベク人と同じくテュルク系の民族で、100以上の民族が暮らすこの国のなかでは5番目に大きな規模を持つ人々である。この地に住まう民族的マイノリティの多くはソ連時代にロシア語化したと言われており、タタール人も例外ではない。しかし、独立から四半世紀が過ぎ、国内の言語政策の変化や、国外からのさまざまな思想や流行の流入とともに、人々が話す言語も変わりつつある。近年では、タタール人の若者のあいだで、忘れ去られた“民族のことば”を取り戻そうとする動きも見られるようになってきた。今まさに過渡期にある彼らのことばに興味を持ち、留学生として首都タシュケントの地を踏んだのは、2013年春のことだった。知らない人の結婚式で友だち444代表スピーチ すでにウズベキスタンでの長期の滞在を終えて帰ってきた先輩方は、口を揃えて「ウズベキスタンの結婚式はすごいぞ」と言うばかりだった。いったい何がすごいというのか。その具体的な意味は教えられないままタシュケントにやってきた私だったが、この地に来て早々にその意味を知ることになる。それはタシュケントの地を踏んでから5日目のことだった。少しずつ新生活にも慣れてきたので、寮母に教わったスーパーマーケットに向かって歩いていると、どこからともなく体の奥底に響き渡るような大音量の音楽が聞こえてきた。何かのイベントだろうか、と期待とともに音に向かって歩いていくと、やがて視界に入ってきた立派な建物が音の発生源だということが分かった。人混みに紛れながら、会場を覗き込もうとしたときのこと。人の輪の中にいた恰幅のいい中年男性に「どこから来た?名前は?」と突然尋ねられた。日本から来た、と言い終わる前に男性は目を見開きながら驚き、喜び、そして神への感謝の言葉を述べたあとに、これまた近くにいた恰幅のいい中年女性たちに何やら指 友だち444?と疑問に思う間もなく、私の手にはマイクが握らされていた。戸惑いとともに、私は私を席へと誘った中年女性を見つめる。すると、彼女は一言「新郎の名はアジズ、新婦の名はディヨラ」とだけ告げて、にんまりと笑みを浮かべながら、いいから何か話しなさい、と顎を一度突き出す仕草をする。先ほど出身地を聞かれてからここまで5分ほど。緊張も驚きも、何もかもを通り越した私は、驚くほど饒舌に述べた。「親愛なる友人アジズとディヨラ、親愛なる親族と友人のみなさん、日本人を代表してみなさんを祝福します」と。 ウズベキスタンの結婚式はとても規模が大きく、地域によって差異はあるものの、おおむね数日間続く。私が遭遇したのはいわゆる披露宴にあたるもので、200~300名ほどの参加があるのが一般的である。近い友人から親戚の友人の友人まで、参加者の属性はさまざまだが、式場前をたまたま通りかかっただけの外国人が参加することは決して珍しいことではない。この国の人々には「遠方からの来訪者は神の遣い」といった共通の認識があり、その距離が遠ければ遠いほど良いとされているらしかった。そうした背景もあり、即席スピーチを終えた私は、これから結婚式を控えた子どもや友人をもつ人々から数えきれないほど声をかけられた。もちろん、日本という遠い東の国からきた友人を代表して結婚式に出席してもらいたい、という依頼だった。そして私は、先輩たちが「ウズベキスタンの結婚式はすごいぞ」と口々に述べた理由をうっ友だちところ変われば、友だちもいろいろウズベキスタンで出会った友だちはいったいどんな人たちだっただろう。ほんの数秒考えただけでも、友だち、という単語ひとつから、ずいぶんとたくさんの人の顔が思い浮かぶことに気がついた。櫻間瑞希 さくらま みずき / 筑波大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程結婚式に招いてくれたウズベク人の家族ファイズッラホジャエフ家のみなさん。結婚のお祝いとは別に、遠方から来た私をもてなすためにわざわざ食事会を開いてくれた。(2013年3月、筆者撮影)学生寮で同じフロアに暮らしていた男子学生たちと、寮の台所で。この夜は全員で協力してプロフを作り、まさに同じ釡の飯を食べた。(2013年5月、通りすがりの学生撮影)カザンで調理されるプロフ。料理人の父親を持つ学生が作るプロフは寮のなかでも大人気で、週末の昼間は彼の腕が存分に振るわれた。(2013年5月、筆者撮影)

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