FIELD PLUS No.22
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14FIELDPLUS 2019 07 no.22同じだ。万物が勝手に動いたりはびこったりする音がこちらに伝わるなら、こちらも音で伝えられることがある。豊作や病の治癒への願いは人間以外の何かへの願いとなり、儀礼のなかで音により表現される。ゴングをもとめて クルンの大掛かりな儀礼ではゴングが演奏される。マンホールのふたぐらいのものからパン皿ぐらいのものまであり、サイズによる音高の違いを利用してメロディを打ち出す。使う枚数はさまざまだが、私が入った村では5枚での演奏が多い。一人1枚、それぞれが一音をうけもつ。私も打ちたくて、演奏のある儀礼によく出かけた。決まったメンバーの楽団があるわけではなく、その場に居合わせた人たちのなかで打ってみようという人が自由に参加する(なぜか男性がほとんど)。「弟子入り」のような習い方はなく、毎回全員が「飛び入り」だ。最初は私のようなよそ者でも大丈夫かと不安だったが、それなりに周囲と親しくしていれば参加OKだ。問題はどうやって打てるよう音は伝える カンボジアの首都プノンペンから車で8時間ほど揺られると、北東部のラタナキリ州だ。なだらかな稜線がえんえんつらなるこのあたりの山々に、広く散らばって住んでいるいくつかの少数民族のなかにクルンの人々がおり、その一つの村で私は何年か調査を続けている。 クルンの人々は、病気や畑の不作などを、多様な生物や事物の霊魂どうしのせめぎ合いによるものとみている。いわゆるアニミズムだが、これと音楽の関係に私は興味がある。人々は山を切り拓いて焼畑をつくり、森に入って獣を狩る。そこは多種多様な動物・植物がひしめき自分の食いぶちを遠慮なく主張する騒がしい音の世界だ。聞きなれない不気味な音もあれば、正確に意味が察知できる音もある。何かの生の気配である音に意味を感じようとするのは人間も人間以外の動物などもになるか。飛び入りの場数を踏みながら少しずつ教わるしかない。となると、いつだれと一緒にゴングを打つことになるかわからないので、ふだんから大勢の人たちとなかよくしなくてはいけない。 私は、ある家に居候させてもらいながらできるだけ村のあちこちに顔を出すことにした。居候先の家族は畑に出る。畑仕事にも興味はあったが、足手まといだったのだろう、村に残るようやんわり諭されることが多かった。さて家の人が出ていった後に一人でどうなるでもない。毎日いきあたりばったりに人がいるところを訪ねていく。どんな日も何かの儀礼で朝から壺酒を飲んでいる家が一軒か二軒あり、結局そこに誘われて酒を飲む。クルン語では「飲む」にあたる語が文脈により「儀礼」の意味をもつ。儀礼は飲み会でもある。「お前と同い年のおれには孫が3人いるのに、お前はまだ結婚しないのか」「クルンの女をめとるのはどうだ?」こんな会話ばかりで酒を飲むのもしんどかったが、私は毎日村のあちこちを歩いた。 ゴング演奏のある儀礼はそれほど多くないといえ、村にずっといれば機会をとらえることができる。プップップップップップップップッ……。これは現地のオノマトペで、牛や水牛を精霊に捧げる儀礼でのゴングの1パートを表している。木魚のようにひたすら等間隔の拍を打つだけ。実はテンポをキープする重要な役目だが、習い始めの私でもいちおう格好はつくので最初の頃はこればかりをやった。案の定リズムはずれる。だめだだめだ、替われ! そんなとき言葉少なに教えてくれたのがグルモイチ(仮名)だった。投げ上げ名人 だれが演奏してもよいので、5人合奏にしても1日で10人とか20人が入れ替わりながら音をつないでいく。そのなかには常連というべき叩き手も何人かいて、グルモイチもその一人だった。彼は一人でやってくる。いつも飲んでいてやせた体をフラフラさせ、伏し目がちにたまに笑う。表情プップップップッ……カンボジアの少数民族の村に息づくゴング文化。言葉のように雄弁でなくても、振動だけは確かに伝わる。そんな音をめぐって思う「友だち」ということ。壺酒。砕けた米粒と籾もみ殻がらを蒸したものを発酵させている。筆者撮影、2013年。友だち井上 航 いのうえ こう / 国立民族学博物館外来研究員しまらないキャラどうしだったんだカンボジア調査地トンレサープ湖ラタナキリ州メコン河プノンペン

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