12FIELDPLUS 2019 07 no.22散歩道でのひらめき中国・新疆ウイグル自治区での少数民族の言語のフィールドワーク。フィールドワーク中に訪れたその一瞬は、ことばがいかにそれを話す人々の生活と密接に繋がっているかを理解した瞬間だった。フィールドワークでことばを調べる 私が研究しているシベ語(錫伯語、シボ語とも)は中国の新疆ウイグル自治区チャプチャル・シベ(察布査爾錫伯)自治県やイーニン(伊寧)市を中心に話されているツングース系の少数言語である。私は毎年、主に大学の休みを利用し、一か月程度イーニン市に滞在してシベ語のフィールドワークを行っている。フィールドワークに行くと、毎日話者のおじさんのお宅に通い、二時間程度、単語の発音を記録したり、簡単な例文を使って文法を調べ、民話を録画して書き起こし、用例を集めたりといったことをする。こういった作業はフィールドワーク=野外調査という語のイメージからはやや離れているかもしれないが、しかしことばの研究はこのような地味な作業なくしては進まないのも事実である。モダリティの調査研究 大学院生のころ、私は博士論文のテーマとして、日本語で既に相手から聞いたことを確認するときの「この本、もう買ったんだよね?」や、思い出そうとするときの「この本どこで買ったっけ?」のような認識や情報のやりとり(モダリティと呼ばれる)にかかわる要素を選び研究していた。シベ語では例えば gyaXei、gyaXeŋeはどちらも gya-「取る、買う」という動詞の過去を表す形で、モダリティで区別されている。モダリティは、話し手が事態をどう認識しているか、またどのような文脈・状況で使われるかといった複雑な要素が絡むため、調査・分析が難しい。特に直観のない非母語話者にとってはなおさらだ。試しに例文を作って調査してみたが、私が作った例も悪く、おじさんは「意味は同じだ」「うーん...文脈によるな...」となかなか直観を言葉にできずもどかしいようだった。結局、それらの違いが何なのか、その文脈というのが何なのか、尻尾を掴めないまま帰国の日が一日また一日と近づいていく。次にここに来ることができるのは早くて一年後だ。この調子ではいつまで経っても博士論文はまとまらない…焦る日々が続いた。ナン売りの屋台で そんなある日、おじさんのお宅で夕食をご馳走になった後、おじさんと散歩に出かけていた。小一時間ぶらぶらしておじさんのお宅に戻る途中、道ばたにナン(パンの一種)の屋台を見かけた。私が何とはなしに「ナン買いますか?」と聞くと、おじさんは “gyaXeŋe(買った)” という。私が、はいそうですか、ではナンは買わずに帰りましょう、と言って、屋台を通り過ぎようとしたその時。ふとおじさんの言ったことが引っかかった。おじさんはただ「(ナンを)買った」と言っただけでナンが要らないとは言っていない。では私はなぜそれでナンを買わずに帰ろうと思ったのだろうか。などと考えているうちに頭の中に垂れ込めていた霧が晴れていくような感覚に襲われた。分析ができたのだ。gyaXeŋeは聞き手に推論の材料を与える形であって、聞き手は「ナンを買った」という情報から「もうナンを買う必要がない」と推論することで「ナンを買わない」という情報にたどり着いているのではないか。改めて調査するとやはりgyaXeŋeはgyaXeiと推論するかしないかで区別されていて、買ったことを直接的に伝えるだけで推論が必要ない場合にはgyaXeiを使うことが分かった。この一件以来、毎日の調査もトントン拍子に進むようになり、私はなんとか博士論文を完成させることができた。生活体験という文脈 しかしそもそもなぜ私はこのような推論ができたのだろうか。それは私がよくおじさんの家で朝ご飯をご馳走になり、朝、ナンを齧りながらスンチャイ(ミルクティー)を啜るという生活体験があったからだろう。私はフィールドで単に調査だけをしている気になっていたが、何のことはない、ことばを理解するのに大切なのは文脈としてのフィールドでの生活と、そこから得られる経験的知識だったというわけだ。ナンの一件以降、私とおじさんは互いに日常生活でどう話しているかということに注意するようになった。一緒にテレビを見ながら話をしていても、「あれ? 今こう言いましたよね?」「そういえばそうだな」と、そこから研究モードに入る。傍から見るとさぞかし異様な光景だろうが、積極的に付き合って下さるおじさんには感謝しかない。 児倉徳和こぐら のりかず / AA研話者のおじさん(シェトゥケンさん)とその奥さん(郭瑪麗さん)。朝ご飯。ナン(右)、スンチャイ(左手前)と小皿料理が並ぶ。ナン売りの屋台。トヌルという窯でナンを焼いている。イーニンの街。*写真はすべて筆者撮影。新疆ウイグル自治区中国イーニンチャプチャルイリ川
元のページ ../index.html#14