10FIELDPLUS 2019 07 no.22が息子たちに土地を案内させると、その男は現在のトリの地を選び、どこかへ去ってしまった。それから年月が経ち、エチオピア各地で聖者として知られるようになったアルファキーがゲラを訪れると、かつてアルファキーを案内した領主の息子らも参詣した。するとアルファキーは領主の息子らに対して、かつて分けてもらった土地の代金を支払うと言って、自らがあの時の男であったことを明かしたのだという。 40ヘクタールの広さをもつトリは、かつてはコルカという名前で、そこには誰も住んでいなかった。アルファキーは、オロモ語で「適した」を意味するトリと名付けた。アルファキーと共にゲラを訪れた人々のなかには、ゲラに残ることになった者もいた。アルファキーは、人々をトリと隣接する地に住まわせ、トリを拓いてマサラ(邸宅)を造らせた。アルファキーは、実子の養育と集落の維持・管理を弟子のシェ・アフマドに託し、ゲラを去った。そして、アルファキーはメッカ巡礼の後でヤアに行き、没する。アルファキーとアブドゥルカリーム アルファキーは、各地で領主の娘と結婚し、10人以上の実子をもうけた。これらの実子のうち、アルファキーは晩年に得たアブドゥルカリームが自身を上回る霊力をトリ集落 エチオピアのオロミア州ジンマ県ゲラ郡は、豊かな森林に覆われた地域である。ゲラ郡のなかでも周縁部に位置するトリ集落に、ムスリム聖者アルファキー・アフマド・ウマルの実子の1人である聖者アブドゥルカリームが暮らしている。トリは、電気や水道、ガス、携帯電話のネットワークはなく、交通の便も極めて悪いため、辺境の地といっても過言ではない。 トリ集落は、アルファキーが1940年代に拓いた集落である。トリとその近隣村では、実はアルファキーがそれよりも約30年前に貧しい男の姿で同地を訪れていたと伝えられている。当時、一人の男がゲラを訪れ、その地の領主にハルワ(観想修行)のための土地を求めているといった。領主備えていると繰り返し語っている。 アブドゥルカリームは、エチオピア西部に位置するクサイェで生まれた。アルファキーの妻がアブドゥルカリームを懐妊したのは、アルファキーが人々との面会を断って9か月のハルワ修行に入った時であった。この妻は、アルファキーと肉体的な関係をもつことなく、アブドゥルカリームを身籠ったとされる。アブドゥルカリームが母胎にいた時、礼拝の時間になると母親の胎内からスーフィー教団のひとつであるティジャーニーヤの主要な唱句であるサラート・アルファーティフが聞こえてきた。アブドゥルカリームは、出生時に歯が生え、髪も髭もある老人のような顔つきで生まれたと伝えられている。アルファキーが「急ぐのはやめよ」といってアブドゥルカリームの顔を手でなでると、歯や髭がなくなり、普通の赤子の顔になったという。 アブドゥルカリームは、幼くしてゲラに呼び寄せられた。その後、アブドゥルカリームの母も呼び寄せられて、同腹の弟アブドゥルハリム、妹カディジャが生まれた。アブドゥルカリーム、アブドゥルハリム、カディジャの3人は、トリで育てられた。しかし、アブドゥルハリムとカディジャは死去し、現在、アルファキーの実子で存命している男性はアブドゥルカリームのみである。変貌するトリ集落 トリは、アルファキーの命を受けたシェ・アフマドによって管理された。アルファキーの実子3人は、厳重に柵で囲われたマサラのなかで、人目にふれることなく養育された。 トリには、アルファキーを敬愛する52世帯の人々が暮らした。居住者には、住居と農地のほか、時には衣類や食料も与えられた。トリの土地は、あくまでアルファキーが人々に寄託した土地であり、私有化アルファキーの実子の1人である聖者アブドゥルカリームが暮らすトリ集落。人々は、森林のなかに閉ざされた辺境の地ともいえる同地で、世界の安寧を願って祈る。吉田早悠里 よしだ さゆり / 南山大学木の下で行われる集団での祈祷。筆者がアルファキーの写真をあげると、青年はひとりになって胸元に写真を抱いて黙した。祈祷の合間の一休み。バナナやパンを食べてくつろぐ。*写真はすべて筆者撮影。
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