7FIELDPLUS 2019 01 no.21方で、部分格・共格・比格を新たに獲得している。本稿ではこのうち、部分格に着目していきたい。サハ語の目的語を表す3つの形式 サハ語には、3つの目的語を表す形式がある。そのうち主格と対格という2つの格の形式は、チュルク語族に属する他の言語にも存在するものである。サハ語にはさらに、第3の目的語の形式として部分格が存在する。サハ語の話者たちは、3つの目的語の形式をどのように使い分けているのだろうか。筆者がサハ語研究を始めた際に、まず調べてみたのが部分格の用法である。部分格の用法 「部分」格の名称から予想されるのは、この形式が表すのはある対象の一部ではないかということだ。実際に部分格には、そのような用法がある(例文(1))。しかしこの用法はどうも、「食べる」「飲む」「取る」以外の動詞には使えないことが分かった。ユーラシア大陸の辺境に分布するサハ語 チュルク語族とは、ユーラシア大陸の東西に広がる30余の同系言語群を指す。それぞれの文法構造は、極めてよく似ていると指摘されている。 私の研究しているサハ語は、チュルク語族の中で最も北東で話される言語である。地図(p.2参照)で見ると分かるように、他の同系言語とはやや孤立した分布を示している。サハ語は、言語構造においても他のチュルク語族のメンバーとは隔絶した位置にある。例えば、名詞の格には表のような違いがある。表1から明らかなように、トルコ語・カザフ語・ウイグル語・トゥバ語の格は非常に似通っているのに対し、サハ語の格のラインナップだけが他の同系言語と大きく異なっている。つまり、他の同系言語に存在する属格と処格を欠いている一 筆者が現地に赴いてサハの人々の間で時間を過ごすうちに、部分格の主要な(少なくとも頻度の高い)用法は、任意の対象を表す場合であると分かった(例文(2))。日本語の「本でも読みなさい」の「でも」は、この用法に似ているかもしれない。どちらの用法に関しても、部分格は、命令・要求を表す文でしか使えない。(1) et-te sie 肉-部分格 食べろ(命令形) 「この肉(の塊の一部)を食べろ!」(2) kinige-te aax 本-部分格 読め(命令形) 「(何でも良いからお前の好きな)本を読め!」部分格のたどった歴史 サハ語の部分格-teは、歴史的には、チュルク語族一般にみられる処格-deに由来することが知られている(両形式-teと-deの音的類似もその由来を示唆している)。それではなぜ、場所を表す処格が目的語を表す部分格に変わったのだろうか。周辺の言語を調べてみると、次のようなことが分かった。まず、トゥバ語(チュルク語族に属する言語の中でサハ語に最も近い)の処格は場所を表す用法を部分的に失っており、現在時制の場合にしか使えない。一方でサハ語の近隣で話されているエウェンキ語では、サハ語同様に、命令・要求を表す文において部分も任意の対象も表す格(不定対格と呼ばれる)が存在する(例文(3)と(4))。従って、場所を表す用法の喪失と、部分および任意の対象を表す用法の獲得の結果が、サハ語の部分格がたどった歴史である蓋然性が高いようである。 (3) ukumni-ja uŋku-kəl ミルク-不定対格 注ぐ-命令 「このミルク(の瓶から一部)を注げ!」(4) oron-o žaba-kal トナカイ-不定対格 捕まえる-命令 「(どれでも良いからお前の好きな)トナカイを捕まえろ!」 部分格から見るサハ語の位置と歴史サハのごちそう(ネウストローエヴァ・ナターリヤ氏撮影)。正装をしたサハの人々(ネウストローエヴァ・ヴィクトリア氏撮影)。お祭りでの氷像(ネウストローエヴァ・ヴィクトリア氏撮影)。ロシアヤクーツクサハ共和国ユーラシア大陸の東西に広く分布する30余のチュルク語族の諸言語。その北東端に位置するサハ語は、チュルク語族の他のメンバーとは異なる言語構造をいくつか持っている。部分格を持つことは、サハ語の特異性の1つである。江畑冬生 えばた ふゆき / 新潟大学、AA研共同研究員表1 チュルク語族の格(-øは格接辞が現れないことを、 ̶は形式そのものが無いことを表す)トルコ語カザフ語ウイグル語トゥバ語サハ語主格「が/を」-ø-ø-ø-ø-ø属格「の」-(n)in-niŋ-niŋ-niŋ̶対格「を」-(n)i-ni-ni-ni-(n)i与格「に」-e-ge-ge-ge-ge処格「で」-de-de-de-de̶奪格「から」-den-den-din-den-(t)ten向格「へ」̶̶̶-že̶部分格「を」̶̶̶̶-te共格「と」̶̶̶̶-liin比格「より」̶̶̶̶-teeʁer
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